何を書くか、何を書かないか。

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「あの人若いよね」

世の中には「あの人若いよね」といわれる人がいて、そういう人は関わっていて大抵気持ちがよい。僕の勝手な考えですがそういわれる人の要素としては、文字通り「日頃から若い人と接する機会が多い」だとか「若い人が好きなものに積極的に、そして無理なく接触している」みたいな傾向があるような気がしている。
対比されるワードとして「若造り」が挙げられるだろうけど、辞書を引くと「 実年齢より若く見えるような服装や化粧をすること」とあるように、何か物理的な方法で現状を変えようとすることなんだろう(もちろんそれが悪いなんて思っていなくて、あくまで対比としてです)。で、僕が挙げた「若く見える人」はやはり「若造りをしている」という感じではなくて、先に書いたようなきっかけや日常の行動があって、結果的に若く見えるのではないかと思うのです。
ところで僕の好きな作家が「自分のことは決しておじさんと言わず思わず、永遠に少年であるという心を持っている」みたいな趣旨の内容を書いていて、それが結構心に残っている。
個人の内面(意識)として参考になる一方で、自分で「自分はおじさん(おばさん)だから」と日常的に言ってしまう人がいて、それは「私はもうおじいちゃん(おばあちゃん)だから」というフレーズと形は似ていても絶対的な距離があるきがする。目上の人がいる中で言ってしまう人は「距離感バグっている」し、目下に言ってしまう人も言われた側からしたら「どー返したらよいかわからんのでめんどい」のだ。「そんなスルーすればいいじゃん」という話なのだけど、僕はどうしてもそういうくだらない細かいことが気になる。それはやっぱり、老化をしっかり自認するのとはわけが違う、自虐をともなった過度なへりくだりであって、双方に得はないはずです。
と言いながら、僕だってマンションで会う人やお店とかで「学生さん?」とよく言われることがあって、女性が実年齢よりも下に見られて嬉しいのと同じように、男だって喜ばしく感じるものである。なめられているのか、はたまた内面の未熟さが外面に漏れ出てしまっているのかは、自身のことながら情けなくもよくわかっていないけれど、言葉をそのまま受け取るのが精神衛生的にもよろしいんじゃないかと考えている。
徒歩5分圏内に高校・大学が2つ、中学校が1つあって、朝と昼休みと夕方(いやもうそれ1日じゃん)には幅広い層の元気なヤングで道がいっぱいになる。いつも彼らとすれ違っているけれど、やっぱり「絶対的な若さ」には勝てないなと思う。もちろん勝つ勝たないじゃないんですけどね、ただすれ違うだけでどこに向けたらよいかわからない底無しのエネルギーを感じずにいられない。
なので、上に書いたような(喜ばしい)客観的な意見を快く受け取りながら、「学生さん?」といつまで言ってもらえるのか挑戦し続けたい。
後付けになったけれど、働きながらでも趣味なんかでスポーツをしている人(交友関係からランニングが多い)には実年齢よりとても若く感じる方が非常に多いです。仕事をする上でそういう方々と接点を持てたことは、こんな人生経験の中でも誇れる財産なんじゃないか。
 
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