何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

書くことと死ぬこと。

人はいつ死ぬかわからない。これはまごうことなき事実です。普遍的なものです。が、かと言って、普段の生活の中であるいは仕事がめっちゃ忙しいとき「私、明日死ぬかもしれないな」とは考えませんね。よほど心身の状況がやばくない限り、「あしたはゆっくり休もう」とか、あるいは明日もまた仕事なのであれば、「あした楽したいから今日もう少し頑張ろうかな」とか、やっぱりあしたは生きる前提。周りの大半の人のことは知らないけれども、僕の場合だと「もし死なないとしたら」とか考えてなくて「今日はここまで、あしたはこうで…」と話は進めますし、それで実際時間も進みます。

ちょっと突飛だけど触れておきたいことがあります。死生観についてです。死にたいと考えているわけではないので読み違えないでくださいね。この先についてもです。

これについて考えさせれたのは大3の時に手に取った『ノルウェイの森』でした。*1。この話は主人公ワタナベの大学時代についての回想をリアリズム(文体)で書かれるものですが、その独白とも思われる文章の主体は、学生時代から約10年後、35歳になったワタナベによるものなのだろうとされています。主人公ワタナベは高校時代、親友の自殺というできごとから「死」に向き合い、「死は生の対極にあるのではなく、生の一部にある」のような内容の教訓を見出しました。ワタナベは大学入学を機に関西から上京。時は学園紛争真っ只中の1969。生活を送る中で出会いがうまれます。その中で周りの人間があっち側(死)にいってしまう出来事に遭遇して悩みます*2。極限の精神状態に追い込まれるとあっち側にいってしまいそうになる、でもいっちゃいけないよ、と読者は頭ではわかっていますけれど、結局彼は彼自身の思索と問答によって「生」の中でやるべきことを見出し、とどまることを望みました。

もっとも、彼のガールフレンドの死は彼自身の「所為であったかもしれない」と、なぜ救えなかったのか *3」というかたちで自責の念に苛まれた。その結果前述の通り彼は生きることを選んだのですが、ワタナベがその「何か」をくぐり抜ける過程の描写は深く読まされた。毎年秋になると飽きもせず読んでいます

勝手に話が飛びますが、「なぜ書くか」についてここ数日頭から離れないんですね。後々に繋がるので長くなりますが興味が湧いたら読み進めてほしいです。

で、街を歩きながら、すれ違う人を見ながら「もしいま死んだら」をふと思った。死んだら何が残るのか。うちは特に宗教のきまりがないのですが(うちのことはよくわかっていないんだけど、あるのかもしれない)きっとお墓は建てられるんでしょう。でもそれ以外に何も残らないな。あらいが亡くなりました。遺品を整理します。で、たくさんの雑誌や本が出てきましたね。とか、紙のノートはよく使われたんですねとか、そんな程度な気がする。

そんな感じで大したことをしていないので、忘れさられてもしょうがないなとは思う。でもその裏返しで、よく考えるというか自分の芯になっていることは「生きてるだけで十分さ」です。さんまさんがいったのかな「生きてるだけでまる儲け」みたいな緩さです。これは、すごく遅いんだけれど、そしていまだに後悔していることなんですけど、一昨年の暮れに初めて祖父を亡くしていちばんに思ったことです。

かたや一方で、自分がやってみたいことに対して能力や可能性を最大化してやってみる。時間と体力を使って挑戦してみる。自分で目標を設定し、常に追われ、高みを目指し続ける。上手くいくか、いかないかわからないけれど挑戦し続ける。ひょっとするとそれは、何かをやるだけで「成功」で、やらないことが失敗なのかもしれない。いや「やらないことが成功」ってこともごまんとあると思いますが。

まあ、あらゆる可能性の中でどの考えも間違いではないと思います。でも、さきに書いたような「時間と体力を使っての実践および挑戦したこと」は、この身体がなくなったら、文字通り何も残らないでしょう。おしまい。で、仮にですが、今すぐ会社を作って、事業がうまく行って(お店でもいいです)そこに誰かが働いてくれて、社員が増えて、その社員の誰かに家族ができて、立派な家庭ができて、子供が産まれて、育って・・・みたいな「ストーリー」だったら、「自分の身体があってこその実践および挑戦」がなくなっても(物理的に身体がなくなったとしても)「何かが残る」って感じがある。しかしまあ、これは即時的にできるかというと無理ですね。

それで。「悔いなく生きるなんて無理」ということから「悔いがない状態なんてない」、「悔いとはいかにして減らすか」という考えが "ポリシー" というか、いつからか自意識の奥底で根っこを張っています。何でだろう? きっと中学生くらいからあった気がしていて、当時読んだ本に感化されたのかそんな感じの趣旨は覚えてるのに、どこで見聞きしたかは忘れました。あるいは当時の個人的な体験から学んだことなのかもしれないです。 話は逸れましたが悔いはかならず残るわけで、その悔いは今のままだと、精神とか魂とかみえない形でぷかぷか浮かんでるだけで(掛けてるわけじゃないけれど)そんなのは何となく浮かばれないんですね。何か形に残る状態であって欲しいし、そうしたいと思ってる。僕のじいちゃんが自分の手で大工の会社を建てた時に作ったであろう "会社印" を僕は形見とみなし、親とかの承諾をもらった上で持って帰ってきたのも、何かそれにつながるのかもしれません*4

そうこう書いててハッと気がついたんだけど、どうやら自分の価値観の中では「何かが残る」「何かを残す」というのが結構重要なことなんだなとわかった。それで現実的に、何を残せるかというと、手っ取り早いのが程度の差はあれ "書くこと" が上位に上がりそうなんです。

もちろん書かないといられない、頭おかしくなるってものではないです。でも、写真だとなんかコメント書きたくなるし、動画・映像なんて技術的にももっと無理だ。やる気もないし、見たい人なんていない。あとは顔出さずにしゃべる系か。目の前に話す相手がいればまだしも、誰もいない部屋で画面に向かって(向かってなくてもいいけれど)一人語りなんて恥ずかしすぎる。オンライン会議って自分も仕事柄よくやりますが、今これだけ普及していても、はたから見るとけっこう面白い光景ですよ、あれ。えっとそれで書くことは、まあまあ恥ずかしいけれどどんな表情していてもいいので、やっぱりラクです。

と、" 書くこと "について茶化されるのに慣れてしまったことも相まって、正当化していますが、やはり結構恥ずかしくて、これはそもそも「自傷行為」だと思うことがないでもないです。誰にも読まれないものに対して労力を割く、時間と精神の純粋な消耗。けどGoogleドキュメントに書き留めてるメモ(累計15万文字程度)のリンクをどっかに貼って常にオープンにして見られることに比べたら(見られないでしょうし、ものすごく仮の話です。絶対にしない)、自分の中でも「ちょっとこれは出してもいいかな」と思えるものを自分なりに整えて、外に出す方がよほどいいです。ツイッターとかで面白いことやアイデアをばんばん出せる能なんてなければ、まず需要もないし精神力もない(どんだけ心臓強いんだ、実績や結果が裏打ちしてるんでしょうね)。なので、この" 書くこと "はある意味では、思っていること考えていることを「成仏させるための営み」みたいな感じにしておきたい。べつに理路整然としなくたっていいじゃない、誰かを説得しなくてもいいじゃない。それは仕事でやるから…。

僕はそんなにとくべつ友達が多いわけでもないけど、お世話になった人はたくさんいます。もちろん親や親戚も含めています。なかには傷つけた人もたくさんいる。何かしらで接点があった人、興味を持ってくれた人は、自分がもしやむえず亡くなってしまった時にここにあるものを読んでください。

それが「(あらいは)あれこれしたかったんだろうなあ」という悔やまれるような内容のものなのか、あるいは「(あらいは)あれこれ考え続けて実現できたんですね」的なうれしい内容の類なのかは、現時点ではまだあずかり知れません。これからその「何か」をやるのみです。27歳にして恥ずかしながら、これからの人生設計みたいなもの、やりたいことを整理しはじめました。まずは項目の棚卸しからはじめて(一部端折ってるけど)以下を埋めていきます。

〉目的・モチベーションの源泉・楽しいと感じる理由はなにか?

〉何が必要か?いま何を資産として持ってるか?(スキルなども含めて)

〉反論・ネガティヴ要素・懸念(あるいは別の何かで代替できるのではないか?)

〉具体的にどうすればできるか、何歳までにやりたいか(手段、ゴール)

どうなるかわからないけれど、まずやってみりゃいいじゃない程度です。やったことで精神的に何か変わるかもしれない。折を見て、文章とかで計画なども書いてみたいと思う。「何歳からでも遅くはない」みたいな訴求のお話には概ね同意するんだけど、それはおじさんになってから「ふむふむそうだよなあ」と思うとして、僕のやりたいことはもうやばいかもしれない。さあ、いそがないと。

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いろいろ書いたものの恥ずかしい話、「ここでいなくなったら全部ラクになるかな」と思ったことはないでもないです。今もふとその時を振り返って、バカみたいだけど自分に感動するんです。なんでか?そこで死ななくてよかったね!ってやっぱり思うのです。今はまだ志半ばで死ぬのはごめんです。死んだら何もかもおしまいなんです

優先順位の高さでいうとまださすがに「この身ある」ことが一番、それ以上はない。

 

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*1:実は震災ではない気がする。被災した土地に住んでいながら自分ごととして考えられなかったから

*2:あちらにいくべきかこちらに止まるべきか。というか留まろうとして止まれるなら話はそんなに難しくない

*3:註: 彼は精神病に罹り施設に入ったガールフレンドを突き放すようなことをして死に追いやったのではなく、彼なりに彼女の救済を試みた。死の香りが漂う施設を出て、生の世界で一緒に住もうとアプローチしたなど

*4:ちなみに母の兄も横浜で建築会社を建てていっときは売上が億規模になったこともあるそうだ。一方、父方祖母の実家は山形市で約150年続く蕎麦屋をやってます。ひょっとすると経営の血筋はなくはないのかもしれない