何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

少年が大人になる日 ②

 

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 昼の12時に目を覚ました僕は文字通り飛び起きた。待ち合わせが13時半だったからだ。急いで熱いシャワーを浴び、薄く生えた髭を剃った。重い頭で昨日起こったことを一つずつ思い出そうとすると、ひどく気分が悪くなった。イメージの中では女の子が僕のことをずっとにらんでいた。中には微笑んだり、よい表情の女の子もいた。おそらく割合にすると2対8だろう。2割が8割のものを上回る(あるいは、より大きいウエートを占める)パレートの法則だ。

 急いで準備を済ませ家を出ようとした時、待ち合わせを14時にしてほしいという連絡が届いた。僕はベッドに腰を下ろし、落ち着いて読みかけの本を手に取った。

 

       

      ☆ ☆ ☆

 

 

 美味しいビールを出す店を探すことと同じくらい、美味しいコーラを出す店を探すことも大事だ。だが美味しいビールを出す店を探す以上に、美味しいコーラを出す店を探すのは難しい。今度はコーラを探そう。

 

 

      ☆ ☆ ☆

 

 

 金曜日の宵はナイトクラブ行った。同期の誘いに負けたのだ。「この先2ヶ月は週末の休みを取ることができないかもしれない」と彼は言った。仕方なく行った。そこでは手を取って踊ったりはしたものの、いつものような発展は起きようとしなかった。起こりそうになかったし、起こそうという気がなかった。

 

 僕は必要以上に喋らなかった。だがそういうときに限って、ちゃんとした話題や出来事を待ちぼうけている女の子はごまんといた。場所があれだけうるさいところであっても。それなのに男から肩を組まれたり手を取られようとすると彼女たちは拒んだ。その時の好みや気分ではないのだ。彼女たちなりに「目的」があって、そこに出入りしている。

 

 だが、ふとしたきっかけで肩を組んだり手を取られたりすることに許可が与えられた。彼女たちの中で「承認が降りる」。これは当たり前の話であり、同時にてんでおかしい話だと思った。

 

 

      ☆ ☆ ☆

 

 

 20時に差し掛かる頃、唐突に連絡を入れた。そいつは「今からチェーン喫茶で勉強しようとしてました。化粧もせずに」と返事した。1年後に試験を控えた受験生なのだ。渋谷のスクランブル交差点に面した本屋で約束を交わし、20分経たずに三軒茶屋で僕らは落ちあった。その駅のホームに降りるのは初めてだった。池尻大橋より先に行ったことがなかった。

 

 改札口を抜け、地上へ出た。生ぬるい風は春を思わせた。冬であるのに豊かに蓄えられた緑はしっとりと濡れていた。そばを通った時に鼻を刺激した匂いは冬でなく春でもなく、秋に近づく夏を思わせた。

 

 ディープな町並みを見送りながら店を探した。「レイン・オン・ザ・ルーフ」は迷路を抜けた先にあった。隣では顔の整った青年が、決定的に可愛いと思わせない女子とよくおしゃべりをしていた。男の方が時折スマートフォンを取り出し、この先輩がなになにで、この女の子はおもしろいんだよと紹介していた。片手には電子タバコが握られており、それはまるで赤子が鈴の鳴る棒を持っているように見えた。反対側では、マック・ブックを開いてタバコをふかす女子がいた。彼女は僕たちがしっかりと腰を下ろすや否や、火をしっかりともみ消しながらノートパソコンを閉じ、素早く会計を済ませて店を出ていった。

 

 向かい合って座った。僕はよく冷えた白いワインと行儀のいいカールスバーグを1杯ずつ飲み、目の下にニキビを作ったそいつは定型的な模様が入ったカプチーノを啜った。フライド・ポテトとミックスナッツをつまみながら談笑した。

 

 そこでは僕が傷心しているというつまらない話と、そいつがお酒で失態を演じたというおもしろい話をした。下宿先まで見送ってくれた同級生の男子に「ここから男子は入っちゃダメ」と言った途端もよおした。気づいたらそれは吐き出されてしまっていた。

 

 しばらくするとそのうちに屋根を叩く雨の音が聞こえてきた。店の名前がそれなだけあって、これも一種のBGM(演出する音)かどうか考えたが、その雨音は本来的に自然で、またランダム的に強まったり弱まったりしたのでそうではないと判断した。皿をよく運ぶ男性に会計で「雨、降ってますね」と声をかけた。そうですね・・・としばらく考え込み、吐き出されたものは「トタン屋根なんで、通常よりも強く聞こえたりします」という説明的な言葉と優しい微笑みだった。店を出る際に僕らは近くのコンビニを探した。そこまで走っていった。

 

 

 三軒茶屋から渋谷に行き、自宅の方面に向かって折り返すように電車に乗るのがバカらしかったので、僕は歩くことにした。3キロ程度だった(それはのちに僕のランニング・コースになる)。コンビニで買った傘をそいつから託されたが、歩き始めて数分で雨は止んだ。御役御免。僕は傘と、銀座で買ったお豆さんと2冊の本が入った小袋を握り、音楽を「歌劇トゥーランドット」に切りかえて走り出した。時刻はすでに23時手前だったが、交番の男は派出所の前で辺りを眺めていた。まるで猿やキリンが今日も元気に餌を食べているか注視する監視員のようだった。

 

 

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 僕は女性から返ってきた「風の歌を聴け*1を2日で読み終えた。読むのはこれが4度目になる。今回は「ザ・ビーチ・ボーイズ」の曲を聴きながら読み進めた。中でも僕が好きなのは「ティル・アイ・ダイ」だ。なんて悲しい名前だろう。このフワフワ感がいい。こんな雰囲気で死を迎えたい。

 村上さんはこの処女作に対して、この本に対するイメージは「ムーン・ナイト・セレナーデ」だというようなことを言っていて驚いた。僕が読んでいる限りではそのような空気が感じられなかったからだった。

 

 夜23時頃、漁港近くを街灯の光を頼りにして優雅に歩く場面なら、それもマッチしているかもしれない。真意はどうなのか、深掘りして聞いてみたい欲求が僕の中で高まった。僕は「ムーン・ナイト・セレナーデ」が好きだ。

 僕が評価を下せる立場にいるわけではないのだが、ファンとしてこの作品は純粋に好きだ。なぜかというと言葉にしづらいが、あえていうならばそこにある種の「懐かしさ」を覚えるためであると思う。

 神戸と思われる街を舞台にし、東京の大学に通う大学生の青年(名前は出てこない)が「鼠」という(これまた本名は明かされない)男とチームを組む。チームを組むといっても、とりたてて大きな物事を前に進めたり、後ろにひっこめたりというような計画的なものではなく、ただ二人が談笑する中で、互いの価値観を「批評」し合う。色々なモチーフが出てくる。ディズニー、小説を書くこと、ジョン・F・ケネディ・・・。それまで本を読む習慣がなかった「鼠」が唐突に小説を書くといい、そのためかはわからないが本を読むようになる。

 鼠の書く小説では「セックス」はなく「人は死なない」(反語のようなものとして、人は何もしなくても「セックス」するし「死んでしまう」から)。

 

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 この間まで苦楽を共にした彼女の写真を見ていると僕の胸はひどく痛んだ。例によってそれは僕の意志によってひらかれてしまい、1度開かれたものは30分ほど閉じられなかった。

 例えば写真は2枚あり、1枚の彼女は出かけるための化粧をしているところだった。彼女は自分自身のために化粧をし、また同時に僕のためにも化粧をしていた。 

 もう1つは僕がカメラ目線で、彼女はいかにも嬉しそうに僕の頬あたりを見つめていた。僕はファストファッションの店で買った水色とオレンジのチェックを、彼女は赤い朱色のセーターを着ていた。僕の髪は黒く、彼女の髪は明るめな茶色をしていた。目は二人とも黒かったが、明らかに彼女の目は光に満ちていた。

 

 

*1:村上春樹・1979