何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

書くことをあきらめてはいけない

『週刊 金曜日』という雑誌に掲載されている対談を読んだ。奥田愛基との対談においてドキュメンタリー監督の原一男は、1960年代後半に勃興した全共闘についてこう述べている。

60年代から70年代にかけて広がった学生たちによる全共闘(全学共闘会議)運動のことだけど、最初からいきなり火炎瓶だったわけじゃない。最初はノンポリ*1の人たちがデモを起こして、周りに一気に広がった。それを抑えようとする警察機動隊が早い段階で出てきて、催涙弾や盾など強力な武器を使った。下手するとデモで死人が出るという状況になって、学生たちもヘルメットをかぶりゲバ棒*2を持つように変わった。 

 

 再三使ってしまうように「メディアの発達」によって、わたしたちはしばしば、こういった「歴史」に触れることができる。ここでわたしが付け焼刃の知識で「ナショナリズム」とかを扱いだすと、手に負えないほど膨大になってしまう恐れがあるので、わたしなりに違った言葉で表現出来たらと思う。ほんとうに自信がない。

 

 その昔「教育」というかたちで文字通り「教え、育まれて」きた。しかしその形が「メディア」の発展によって崩壊しつつ、*3大きく変容している。ひとえに「メディア」と聞けばテレビやラジオ、そして大半はインターネットが占めていると思ってしまう。それは電子機器をもちいた機械的で「あたらしい」人工物と捉えられがちだが、固有の歴史は古い。わたしはここで「メディアの歴史」について洗いざらいできる自信はなければ余裕もない。

 稚拙ながら簡潔にまとめさせてもらうと、大衆文化やブランド消費によって支えられ成り立ってきた機械的メディアの発展のその以前は「人から人へ」といったきわめて直接的な、ーそして時に洗脳を伴った「教育」によって特定の歴史観が共有されてきた。

 

 昨夜やっていた番組で「日本赤軍」について視る機会があった。その象徴的事件となった「あさま山荘事件」についてよく知らないわたしは、かねてから両親がこの事件についてテレビで取り上げられるたびに「あれはやばかったよね」と口々にしていたのを思いだす。この国に生きている以上、ひとりの国民である以上、直截関与していない人でもそういった感情に駆られてしまう。難しい言葉であらわせなくとも、その理由はどこにあるのだろう、と小学生の頃からずっと思っていた。 

 だれかの手によって「歴史的な出来事」と規定される以前に、不謹慎な言い方ではあるけど、その年代を生き抜いてきた人たちからすると、そこにはある種の”なつかしさ”を想起させるノルタルジアが拭えないのだろう。もしかするとだれかは”誇り”であったりまたは”くやしさ”などを抱か。それは関与のしかたによって異なる。

 

 佐伯啓思の『日本の愛国心』によると、さきに挙げた60年代から70年代にかけて加速度的過熱を果たした「全学共闘会議」という運動を経て、また80年代にはポスト・モダンブームやサブカルチャーによるメインカルチャーとの逆転的成長によって、人はそれまで以上に「物語」や「ブランド」を消費したい・すべきだという空気が流れ始めたという。それは出来事を単なる「物語」として捉えるだけでなく、ある嗜好性に成り立った「遊戯化」によって「商品化」にこぎつけた。横文字で表すと、凄惨な歴史的な出来事はサブカルチャーによってビジネスのレールに載せられて、現在に至るまでメディアが存続させているということだ。

 

 『一歩立ち止まってみると』

 わたしはいまこうして書いているときは、直截の純粋経験から述べることはできない。想像の中で「ああなのかな、こうなのかな」という風にー半ば投げやりにしながら無謀な挑戦を試みている。

 そして、こういった歴史的な出来事を扱うとき、わたしたち*4は、さきの戦争やまたは全共闘が発端となって誕生したデモに加担してきた人たちと「若者」を並べて述べたがる。つねに異質な他者であるべきメディア*5は、単純比較し、文脈をたどって、-というか歴史的文脈は人為的に作られると思っている*6ー「現代人はこうなっているんだ!」と無差別的に無責任な分析と断定をくりかえす。*7

 そこでわたしは「単純に並べがたい、決定的な違いが存在している」のだと思っているのだけど、悔しくも知識不足によって述べられない。

 

 『自己反省的に』 

 橋下・羽鳥のバラエティで、ある民進党の男性議員さんが夏の参議院選挙で鳥越氏を支援したことについて、憲法解釈の論理から間違っていると橋下と弁護士の北村に咎められていた。それに対して彼は、関係のある元最高裁判事の名まえと論理を利用して反論を試みたが「それはあなたの意見ではないでしょ!あなたのことばで述べてください!」と返り返り討ちにあっていた。

 わたしたちは自身に備わっているからだでこうも解釈を試みるのだが、ことば一つひとつが「自分固有のもの」ではない「どっかからの受け売り」であるので、すべてがすべて「自らの主張だ」と声高らかに述べることはできない。あの意見の仕方はたしかに正しくなかったかもしれないが、それを頭ごなしに「それはあなたの意見ではないので聞きませんと!!!!」聞く耳をもたなかった橋下と北村の姿にはすこし悲しくなった。*8

 

 はなしは逸れたが、こういった一件から垣間見える不安をわたし自身も拭えないでいるのが実情だ。それは単に勉強不足による知識のなさを憂うだけではなくて、「直截的な純粋経験がない人には何も語ることができないのではないか」という恐れへの問いかけによって成り立っていると自己分析する。

 想像力ではどうにもならない、言い及ぶ方法がどこかには存在していて、わたしなんかいとも容易く排除されてしまうんではないかという不安に駆られる。

 『日本の愛国心』に関連して、清水幾多郎の『愛国心』も手にとってみたが、そこには「今のわたしには想像と理解しがたい事実」が羅列しているだけだった。

 

 

 わたしたちは、自分が思っている以上に想像力にかけているので、その目の前に倒れているものがすべてだと思い込む。しかしそこには、あくまでも人為的に作られた歴史的文脈が存在しているだけで、単純比較をした末に「現代を生きるわたしたちは何者なのか」という自問に揺られる。つねに自己反省的で「そこにあるものが絶対ではない」という客観視する姿勢が欠如している以上「メディアに操作されてしまう」事態さえも作り出されてしまう。残念だけどそれが、絶対数でかぞえられない不特定多数の若者の正体なんだと思う。

 それもこれもメディアの発展によって、わたしたちはその事件に関与したすべての人々を他ならぬ「絶対他者」として扱えなくなった。それは単に、「遠いから」とか「一度もあったこともないし」ということではない。

 

 わたしは、両親の支えによって成り立つある学生である以上、ほんのかけらとしてでも一部に加わった「SEALDs」の正体は何なのかを明らかにする必要がある。おそらく、もうすこししたらまとまる。そのためには、周りにどう言われようとまだまだ頑張るつもりだ*9

 

追記.

一度おもてには出しますが後悔の念から加筆修正を繰り返していくと思います。

 

masa1751.hatenablog.com

 

これを書いて一年経ちましたが、読み返してみてここに書いていることの半分くらい間違っていたことがわかりました。 学習したなぁ。

 

*1:nonpolitics 政治に無関心のこと

*2:コピペ(http://dic.pixiv.net/a/%E3%82%B2%E3%83%90%E6%A3%92) しばしば用いられたのはプラカードの棒を流用したもので、下手をすると一撃で折れるほど脆いが、実際のところゲバ棒の主な使用目的は示威であって、相手を殺傷するために用いるものではないのでこれでも問題はない。

*3:というよりか共棲している

*4:こう書いていても結局はわたしも含まれる

*5:究極の客観視をするものとしてだれかを監視し続けなければならない

*6:勝者が歴史をつくる

*7:再生産する装置として機能

*8:彼らは本来、傾聴することが仕事であるだろうという背景から

*9:という意思の表明