「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

歴史の、そこにいる

 

こんなタイトルを掲げておいて書くのはむずかしいなって困惑している。悔しいけど当り障りのないことをつらつらと連ねてく。

 

わたしは父の影響で、歴史が好きだ。といっても格段に詳しいわけでもない。思い出せないくらいすっぽりと抜けている時代があるくらいだから、つくづく自分の教養不足を感じる。わたしはとくに「歴史が動いた瞬間」が好き。なので某・公共放送でやってる「その時歴史は動いた」という番組が大好きだった。偉人と呼ばれる先人たちは、偉人になるためにその時を生きたわけではない。その人の生い立ち、時代背景、経歴などを踏まえ「その功績がその時代にとっていかなるものだったのか」など、後世に生きた知識人たちが評価して偉人という像がつくられる。

もちろん現代では人を殺すことは許されないので、戦に勝ったから偉人となるということはないはず。「戦争反対」や「紛争を起こさない、巻き込まれないように」しようという取り組みが激化している現代では、そういった意味での歴史認識や価値観が変化し続けている。「戦に勝った」からではなく、「戦に巻き込まれそうになったけれど自国を守り抜いた」から評価される。そんな世の中が保たれてほしい。戦後70年は誇りだ、と言う。そのとおりだ。戦後がずっと続けばいい。日本は「戦争をしてはいけない」というイデオロギーを維持しなければいけない。 

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だれにでも、歴史ならここを押さえておきたいというのが一つや二つはあるはず。

その時代その時代に、いろいろな特徴を見出せるのが面白い。日本は、自国を自国のままで長きにわたって存続し続けてきた。敗戦後、多くの国民が虚脱状態に陥った。GHQに従うも、決定的に屈せず、日本人らしさを失わなかった。それはとても誇らしくて、素晴らしいことなんじゃないか。いまの日本は近代化を経て西洋文明に染まってしまった、と言えども日本らしさは失っていない。

その事にもっと自信をもって、自国の文化や特徴を自慢していいと思う。とても誇らしいことだ。最近、歴史は認識や解釈の方法でいくらでも変わる.という言葉を頻繁に耳にする。イヤな印象が持たれがちだけど、いまはもしかしたら、ちょっとした歴史の分岐点にいるんじゃないかと思わせてくれるようでワクワクする。歴史は勝者が作る。その時負けた者は悪者扱いされる。例外はあるけれど、これが自然の法則と思っていいとおもう。

 

 

 

 

 

その時代に生きている以上、主人公はわたしたちだ、と思う。例えばオリンピック・パラリンピックの件。2020年は君らの世代が主役だ!というのは結構聞こえが好くて、いいキャッチコピーになる。けど、スポーツの舞台からオリンピック・パラリンピック出場、活躍を目指す立場なわけでもない限り、ピンとこない人が大半なんじゃないかって想像をしてる。歴史ってテーマからは少しそれるけど、それなりに自分の土俵から意見とか物を書きたい。

 

ニュースで目にしたり周りの友達との話でも飛び交ってるのが、「その2020を支える側の人間になりたい」という声。これはスポーツが市民に浸透している証拠だと感じてる。授業でスポーツとは「観る」「支える」「する」の三本柱で成り立っている、と繰り返し聞かされた。「支える」も「観る」も消え失せたら、スポーツの成熟なんておろか文化として成り立たないんだろう。競技性スポーツを「する」側の僕らは、われわれが多数派なんだと勘違いをする。

でも違う、本当に小数派だ。支える側の人間を巻き込んでいるから多いと感じてしまう。けれど最近は、さまざまな取り組みを通じたり、体験型学習が進んでいて、スポーツを「支え」てくれている人が多いことを認識してはじめている(はず)。競技性スポーツを発展させていくため、守っていくためには、まずスポーツを「する」側の意識が成熟しなければならない。いま各都道府県、市区町村の教育振興課は「スポーツ」をいろんな分野の形に切り取って、熱心に推進させている。

スポーツが教育の手助けツールとして機能するという認識が広まってきているのかもしれない。日本には日本なりの、いろんな取り組みがある。行政の力からも、もっともっと知れ渡ってほしい。

 

2020は、スポーツを「する」側にとっても、「観る」側にとっても、「支える」側にとっても、誰にとっても大きな歴史の分岐点になるんだろう。それに向かって、来年の夏季リオ五輪、2018の冬季平昌五輪を経て、五輪への関心やそのプラスアルファでスポーツへ対する市民の意識がもっともっと成熟していくことを願いたい。

最後にもう一度、歴史に重ねて話をする。五輪というものは、平和とその維持とを祈念して開催される。五輪に出場する国や開催国はもちろん、戦争を起こしてはいけない。オリンピック・パラリンピックに関心が集まるのはいいこと。それらを通じて平和維持は可能、つながりをかんがえるいい機会になると期待する。

 

スポーツは戦争を止められる。

 

 

*1:でもいまでもどこかでは「戦後」というように「戦争の終わった後」とは言えない。戦後は続くと誰かはいう