何を書くか、何を書かないか。

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メディアに関すること

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「平成最後の夏には何をしますか?」とメディアが言う。みんなが言うから何かしなきゃいけない気がしてくる。私の彼女いわく「今までは天皇崩御してから元号が変わるから「●●最後の■■」って感じには準備できない。でも今回は、元号が変わるタイミングが決まっているから、”平成最後の夏だから■■する”と言えるんじゃないか」(ここまで賢いことは言ってません。補正してます)と言った。確かにそうだ。

だけど「平成最後」だからなんだと言うのだろう?   平成最後の夏だからたくさん走った。平成最後の夏だから酒をたくさん飲んだ。平成最後の夏だから彼女といろんなところに出かけた。平成最後の夏だから仕事をたくさん頑張った。言われた側はどんなリアクションを取るのが"正しい"のだろう。「そっか、私も■■した!それでね・・」と会話のタネになるだろうか? あまり期待はできない。

仮にもメディアの一端を担う身として「メディアのこういうところがよくない」と声を大にして言えないのだけど、オリンピックの報道に関してここ最近はやっぱり疑念を抱かざるを得ない。来年できる予定の国立競技場が職場から徒歩1分で行けるので、建設経過をつぶさに見ているとわかるけど、どう考えてもこのオリンピックはハコモノからして正当ではない。東京2020が決まる瞬間を(僕はたまたま朝4時に起きていたから)TV中継で見て大いに喜んだが、「勢いでやっちゃった感」が強い。話すとキリがないので具体的なことはこれ以上書かない。

2020での活躍を嘱望され、仮に国内予選を勝ち抜けず出場が叶わなかった「若者たち」のことを考えると居たたまれなくなる。例えばアジア大会水泳の放映時間に流れるCMに、男子100m走の日本記録保持者の桐生選手が出ているが、彼がもし仮にだ、選考から漏れるとする。ーといっても男子100mは史上稀にみる群雄割拠さであるから可能性は本当になくはない。果たしてどうなるのか。あるいは、彼でなくて彼よりもランクが低い、たくさんそうやってもてはやされた(言い方が悪くて申し訳ない)若者がたくさんいる。2020は、彼らのきれいな「未来」を作るが、一方で未来を潰す可能性もある。そう思うと「インタビュアとしてアスリート(僕の場合はこれからの活躍が期待されそうな人)を取り上げて、ささやかなりともその人のモチベーション・アップにつなげたい」という僕のインタビュアとしての心構えや志はもろく、ガラガラと音を立てて崩れてしまう。

一方では”2020までは頑張ります。それ以降は別の道に進んで・・・します!”と力強く口にする者もいる。現時点で2つ目の先のキャリアを考えている者こそが大事な勝負どころで勝つのではないか? と想像してみる。

そう考えると、渦中の山根会長が(本当に言ったかはわからないが)言ったという"2020だけを目指すのではなくそれ以外の大会で活躍しろ"という声掛けは、ある側面から見れば有用なものだと思えなくもない。