何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

けっきょくところ、それは全て無意味で

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文章を書く作業においては、タイトルが決まってから、これについて書きたいと思い、書き始めるパターンと、内容においてぼんやりと断片的に書きたいと思ってから後付けでタイトルなんて何だっていいやあ、で書くパターンと2つあると思っている。今回はさしずめ前者。( 自分で書いていて思いっきりまちがえてた ) タイトルの「けっきょくのところ、それは全て無意味で」というフレーズというか一文が会社を出てすぐ、頭に反響していて、ただ使ってみたかったので歩きながら書き始めた。・・・そう、しっかりとラケットを振りきればテニスボールは返ってくる。・・・まともでない台詞のやりとりを書いてみるととてもちっぽけで、こんなこと誰も話したりしねえよ、と言われそうだけどそれが楽しくてやってします。もちろんのこと、たまにどっかのだれかとはなした内容を引用したりもするけれど97パーセント架空の台詞だ。台詞と言えない会話とも言えない、ここではただの文章だ。でもこの広い世界の中で何処かの誰かがこんなことを話していたりするかもしれないと思うと、とても面白い。ただそれは、けっきょくのところ全て無意味なわけで、ぐるぐると回っている。風はよく回っている。・・・風が回るという表現が私は好きであったり嫌いであったりする。高校の頃山にある学校に自転車で通うとき、行きは向かい風だから帰りは追い風だろうと踏んだ。ところが風はよく回るもので、風向きが変わることはザラにあった。また四百メートルなどの周回種目ではよく風を気にする。入りの200が向かい風か追い風かで記録は大きく違うのだ。もちろん全て向かい風である場合もあるし、神風が吹くトラックと呼ばれるような、大阪の長居はアメリカの世界的スプリンターのジェレミにも愛された。時は2007の大阪世界選手権であり、私はその頃中2で、テレビの前でマイルリレーを見ていた。こんなの絶対走れない、と思った種目がのちに私が生涯的にベストと順位を残すような種目に変わった。今でもマイルリレーが愛おしい。マイルリレーとは千六百メートルを四人で走る。つまり一人あたり四百メートル走る。全力で。・・・人は何かにつけて、よかったことも悪かったことも、出来事に対してなにか意味を持たせようとする。私もその一人だ。これは教訓だ、とか勉強になったとか、あるいはバチなのだ、とか。ところがそれは所詮、結果論でありどうにでも解釈し、口にできるのだ。思い出話なんかがそうで私はあれがあまり好きではない。あの時は辛かったけど今となって笑い話、いい思い出だよな、ハハハ。というのは、確かにその時は笑えないほどつらい局面の、それは崖につま先だけでとどまっているような姿勢でいるものなのだ。たとえばこうやってものを書いているのものちに何かを残すためと思って始めていたきらいがあったけれども、今となってはただ、ほぼ無意味なことなのである。後から振り返って見て、ああこんなこと書いてたのね、くらいがちょうどいい。ところでこの意味を付す付さないについて好きな社会学者の岸政彦先生と、まあまあ好きな内田樹さんはいいことを言っているのだけど今手元に本がないの(以下略