何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

3月21日(木・祝)

二日酔いで半日つぶれ、佐藤さんに怒られながら過ごした平日の今日は休みだった。週の中日に出勤しなくていいのは多幸感この上ない。稼ぎ方改革とかプレミアムフライデーとか(もっとあげたいけど中々でてこない)、どうでもいいから、政府主導で「週休3日」にしよう。それにしても気温も高かった重い頭で錦糸町を佐藤さんと歩いたけれど、鼻歌、口笛の人と何度かすれ違った。その気持ちは確かにわかる。
別れと出会いの季節3月は、かくあるべきです。
 
少し書きます。昨年の3月は好意に思っていた3つ上の女性(学生の頃に知り合い、至極純粋に精神的な面でいろいろ教えてくれた方)から「残念だけど、これからはあまりあなたのためにはなれない」と言われた。言い方がとても説明的だった。この出来事は僕にとってはそれなりにショックだったし、やはり何度かメッセージを送ろうとアプリを開いて閉じてを繰り返した。そのもう一年前に冬クールで放送していた「カルテット」(軽井沢と東京が舞台)をインターネットで3周くらい観た。大体どのシーンで坂本節*1のきいた面白いセリフが出てくるのか覚えてしまったぐらいだった。泣く場面も、笑ってしまう場面もだいたい同じなのにやはり観つづけた。観たからといって直接の癒しになるわけではないけれど、単純に現実から目を背けたかったんだと思う。理由を挙げるとキリがないのだけれど、出演者やセリフ、舞台が冬の軽井沢などいろいろな要因があったと思う。いまいちつかめない。
 
過ぎし3月は花粉、メンタル、人間関係という3重苦に強く強く圧されながらも何とか乗り切り、新しい季節を迎えた。4月はそれまで以上に出会いの多い季節になったと思う。5月には、佐藤さんに出会った。僕は上司*2から1月頃に履歴書を見せてもらっていたので存在を知っていた。プロフィールを知っていながら、彼女が入社後に社内懇親会(会社が抱える女性ランニンググループのお披露目会)で「出身はどちらなんですか?」「山形で・・・」「僕もです!」「え、私は米沢」「僕も生まれは米沢なんですよ」と、僕が偶然を装った。ビールが好きということもあって、すぐに意気投合した。詳細は仕方がなく割愛するが、佐藤さんはあっという間に同期や後輩とも馴染んだ。多くの時間を過ごし、今に至る。
 
これは別に改まってわざわざ書くことでもない。きっと意味がないのだろうけどいつかそこに付与される。もし去年の3月はじめに「残念だけど、これからはあまりあなたのためにはなれない」と言われていなければ、またそこで僕が食い下がり関係が続いていれば、付き合うまでいかずともとりわけ良い間柄だったかもしれない。そうしたら、言うまでもないけれど、そしたら佐藤さんに「出身はどちらなんですか?」と偶然を装って回りくどい質問をせず、「出身は米沢なんですね」とただ端的に、ただのあまり意味のない質問の一項目として選んでいただろう。
そういうことを考えていたらキリがないけれど、振り返ってみると見えるもの、ことがあるというのでなんだかわびしいですね。
ぼんやり、あたたかい夜。春眠暁を覚えず。
 
全く関係ないのですが、取材などいたるところで「今年で25歳になります」と言っていると、心がそわそわしますね。
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*1:東京ラブストーリーなど数多くの名作を支えた脚本家

*2:前編集長