何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

3月7日(木)

私の会社では毎月1週目の木曜日が、全社朝礼の会と決まっている。「来月の朝の会は、新入社員の入社式を含めて‥‥」そう聞こえたときもう3年目になるのか、と思った。いつも思うのだけど、その真っ只中にいたらあっという間だとかそういうことは思わな(思えな)くて、結果的に「早かった」「案外長かった」と感じるのだろう。この2年で何度、年齢を聞き直されたか…。それはともかく「3年目」という響きはやっぱりヤバイ。

私たち若者は、すぐにやめる、やっとゆとりから脱したかどうかというところ、素直だからまあ頑張るなどいろいろなレッテルをはられたり、言われがある。その都度、自分自信の身分について補足や弁解、誇張、あるいは訂正をしているのだ。往々にしてある。学生時代に、研究論文のために「いろんな年代論」のものの類を読んだので知っている。

例えばこの頃の若者は(…根気が足りんなど)という、年長者による嘆き(ぼやき)は平安時代からあったことが古い文献から確認されている。近くを遡って明治〜大正時代のバンカラ(上下縦割りが全てを物言う)世代においても、そのような年長者による発言があったと、複数の校友会資料や部会誌に記録されている。そうりどの年代、時代にもあることです。

だから今になってさまざまなメディアが若者論(おそらく大半が論とも呼べないシロモノですね)を掲げていても驚くことではない。

ビール1杯を交わすことができる同期の存在は確かに大切だと、ふと気づいた3月7日の夜、京王井の頭線です。3年目に突入まであと1ヶ月。