何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

やっぱり今日も走ります

※所属する団体との見解が全て一致しているわけではありません

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昼にカレーライスを作れば、夜もまたカレーライスである。「北海道の冬は寒い」と同じくらい当たり前のことです、うん。やっぱり、夜の町は静かなものに尽きる。ウキウキした人なんてどこにもいなくて、腕を組むカップルの背中でさえどこかしら哀愁が漂っていた。悪くなかった。綺麗なお姉さんはしかめ面でスマホの画面をにらんでいた。男か女か判断できない中年人間はクネクネと自転車で蛇行していた。

台風のおかげと言ったらちょっと不謹慎であろうが、閉まっている店の窓ガラスを見てフォームが確認できた。脚の回転は悪くないんだけれども、上体が固い。腕を抱え込もうとするとより顕著に見える。そのくせしようとしているわけではないのに、腕を抱え込むと肩あたりがわりに早く疲労する。積年の課題である。

一方で脚は山登りが功を奏し、結構地が作れてきた感がある。重心が余計に浮かないし、蹴り出しのエネルギーが鉛直方向に進む。脚を真下に落とすことで「さばき」が可能になっている。スピードをあげた方が重心が余計に浮いてしまうのは今日初めて気づいた。新たな発見である。 

普段なら鬱陶しいミストも今日に限っては涼しく感じられて、悪くなかった。街もしっとりと濡れて、吸い込む空気が瑞々しかった。昨日の富士山山頂を思い出した。

山頂での取材を終え下りながらふと思ったが、高山病はかけらも姿を見せなかった。木曜日の夜に7合目に宿泊し、金曜日の朝5時半に山頂に向かって宿を出た。インタビューやら写真撮影やらで11時半まで滞在したが、「頭が痛い」よりも「寒い」という感じが強かった。頂に達したということに関しては、特に何の感興もないままスタスタ降りてきた。

今朝起きた時、前ももの外側がこれまでにないくらいこわばっており、午前中は近所の喫茶店、スーパーまで歩くこともまあまあままならなかったのだが、どうしてか夜になるとスイスイと走っている。これを「異常」と呼ばずしてなんと呼んだらいいだろう? 

20時手前、猫をじゃらしていたつもりが、ふと思うとじゃらす僕がじゃらされていたのではないか、と我にかえった。猫を抱えながらビートルズのヘイ・ジュードを歌っていると眠たそうにしたので毛布の上にそっと置いた。

ヒア・カムズ・ザ・サン に切り替わる頃、僕はショートパンツを履き、チャンピオンのTシャツを着、裸足でランニングシューズに足を入れた。「靴下を履くような感覚!」というのがこのシューズの謳い文句(いやこの手の素材のシューズには似たようなそれが飾られているのだ)であり、裸足で履いてみると確かにその感じが理解できた。会社での内履きと化していたそれに対して新たな可能性を感じた次第である。家を出る時ヒア・カムズ・ザ・サンからノルウェジアン・ウッドに切り替わった。

 

なぜ走るか? と聞かれたら下記に集約されると思う。

一般に言われる「叶えられなかった夢を追いかけている」のではなく、むしろ「叶えられそうもない夢」をどんどん顕在化させるためにやっている。どこまでやっても敵わないだろう、と圧倒させられる経験がこの仕事に就いてから多々あり、それは僕にとって日々大きな刺激である。というか僕は本当に夢を持って陸上競技に取り組んでいたのか? と思わされるほど、今振り返ってみるとその空虚さが怪しい。やっていたことは自発的ではなく、結局のところ「やらせてもらっていた」のだと思えなくもない。

何かに敵わなくても挑戦する権利を僕らは有している。実際に僕らには誰もが羨むほど有り余るエネルギーがある。経験から言えるスキルはなくとも体力がある。力を注ぐ順としては仕事、異性との交友(なんか言い方が古いな)、読書、酒飲み、その次にスポーツがある。スポーツが何も一番でなくたっていいけれど、エネルギーを注ぐに値する優先順位ではだいぶ上位に位置するのではあるまいか。でもなぜ多くはやらない?   大きな可能性があるというのにエネルギーを注がない?        それを考えるために走っていると言える気がしないでもない。

 

小説「ノルウェイの森(Norwegian Wood)」の中で永沢は主人公ワタナベにこう言う。少し例えは悪いが僕が好きな部分を引用する。

「日が暮れる、女の子が町に出てきてその辺をうろうろして酒を飲んだりしている。彼女たちは何かを求めていて、俺はその何かを彼女たちに与えることができるんだ。それは本当に簡単なことなんだ。水道の蛇口をひねって水を飲むのと同じくらい簡単なことなんだ。そんなのあっという間に落とせるし、向こうだってそれを待っているのさ。それが ”可能性” というものだよ。そういう可能性が目の前に転がっていて、それをみすみすやり過ごせるか? 自分に能力があって、その能力を発揮できる場があって、お前は黙って通り過ぎるかい?」