何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

わからないことを誰に聞けばいいかを見極めること

林先生は「仕事原論」で、若いうちは金を(多少荒くてもいいから)めいっぱい使え、といった。いい歳になって品のない使い方はみすぼらしいからだという。金の使い方は訓練と教養がいるらしい。それが無いと、成金のような、金太郎飴みたいに同じような、見た目は豪勢だけれども、、、になってしまうんだってさ。まずそれだけ稼げるかどうかだけども、僕も確かにそう思う。そういう大人にはなりたくない。

 

 

この頃なにか書きたいと思っても、まず真っ先に「仕事」関連が浮かんでくるから嫌だ。彼らは、何かにつけて僕の頭の中に浮かんでくる。どっからやってくるんだい?一体。ひっついて離れない。それはまるで、品の悪いプラスチックでできた黄緑色の土管に入った、それと同じ色のスライムが髪についてうまく取れないみたいに。ずっとここらへんにいる。そう、頭らへんに。

 

とかいってなんだけど、、、僕は仕事が嫌なわけじゃない。わりあい楽しくやっている。それで、僕自身、仕事に慣れたかどうかっていまいちわからないんだけれども、制度、システム、その場の空気をある程度わかってきた上で、やれることもどんどん増えてきた。よって、楽しい。単純だろう?

 

それはまず、新しいことにチャレンジする、とか、そういう以前のことだけれども、常に新鮮なものが(生野菜とか生魚とか足がはやいものみたいな)誰かから差し出される以上、僕は下っ端として(しがない新入社員として)どうにかして処理しなければならない。(大変だけどやるしかないんだ。)そしてそれは、学生時代からやってきたことは全く変わってない。

 

 

ところで話は変わるけれども、この一ヶ月生きてみて、学生時代の自分が就職活動を、どれだけおろそかにしていたかわかった。思い返したり、ノートを見返してみると、陳腐なものばっかりだ。これじゃあ、上司から再三注意を受けるだろうし、お前何がしたいの?と聞かれることばっかりだ。まあ、それ以前に、何をやらせてくれるんですか?と単刀直入にきける学生でありたかったよな。まあ、無理だよ。

 

「お前何がしたいの?」と聞かれるようになりたい。

 

会社でとりたいメモと私用のメモを一緒くたにしていた4月を反省して、新しく何冊か買った。その道で母と母の高校の頃の同級生がたてたおいしいピッツァの店に行った。店主は不在で、ほとんど仙台にはいないらしい。その時酒は飲まなかったから八千円くらいで済んだけれども、美味しかった。まあ、それはいいや。

そんなメモもそれなりに楽しかったけどやっぱり非効率だった。いろんなもの、ことを結びつける以前に、まとまらなかったり、読みにくかった。本末転倒。

 

 

4月、5月はビジネス書をたくさん買った。10冊くらい。それを読んだ。どれもこれも、うーんという内容ばっかりだったけど、為になることも多い。まだ僕にはわからないこと、なんだろう。

 

早起き、酒は無理に飲まない、時間を意識、文章を大切に、相手の気持ちを考える、、、結局のところ、学生時代と変わらない。忖度はしない。

 

勤めるに当たって、やっぱり責任って問題は大きい。それはだいいちにお金をもらうだし、さらに掘り下げると、何事にもお金がハッセイしていますよ、ということだ。

 

大それたことは言えないからここではちょこっというけれど、上司の人間関係をみるのが大切だと思った。権力とか力関係というと、いやらしいけども、社員がどの社員と関わっているのか(それも、密に)を読み取れると、どんな風に事業が動いているのか、回っているのかに少し気づくことができる。ノートを見返してみると書き残したメモが。「わからないことを誰に聞けばいいかを見極めること」。今になってわかるが、確かにそうだと思う。

 

人の時間を奪っちゃいけない。そして、奪われてもいけない。それは特に上司の。それは、時に上司であっても。

 

 

 

人はすぐ(アドバイスとしてかしらないけれども)金は貯めておけという。確かに一定水準持っているのはたいせつだ。けれども、何に貯めたらいいかわからない人が、何に対してお金を貯めろというんだ?下着の詰まったタンスに揉みくちゃにしてしまっておけっていうのかい?まだそれがわからないうちは、生活の質を上げるために使おうと思う。まずだいいち自分のために。中でも本だ。これが無いと始まらない。

 

僕が僕のために僕が時間と感覚を売った対価で得た金をつかって本を買うんだ。分かったかい?

 

 

 

さあすぐ夏はやってくるぞ。