「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

【改題】:自己満足

fktack.hatenablog.jp

 

私は、昨日の今ごろの時間、最寄りの駅に向かって歩いていた。大体15分ほどで着く。途中にあるATMに寄ったところ、先客の女性が5分以上籠っていて、寒空の中震えながら待っていた。すれ違いざまにドア付近で「済みません」と言いながら頭を下げた彼女は、何に対して頭を下げたんだろう?

かつて同じチームで練習していた先輩が、つくばを離れ東京で働いていて、その晩つまりは昨日の夜飲もうと声をかけられた。でも、それは自分から自発的に飲もう、と言った訳ではなく、その先輩の同期の方が一個下の私や同級生の二人を誘い、五人で飲むグループを作り、その中に私が入っていた。と、前置きしたけども、今回はその飲み会の事について書きたい訳ではありません。

駅に向かう道中、歩いていたんだけども、昨日の風景がいつも見るものとあまりにも違って見えた。それは、せわしく歩く人、車、夕陽に照らされる木々や家々は、今まで何も意味のないものとして見過ごしてきたはずだけど、何とも言葉では表現しづらい違和感を放っていた。それなら表現しなければいいじゃないか、という行為の否定に落ち着くんだけども私の場合はそうはいかない。

なめらかに走る高級車、ナイキのシューズで足早と下校する制服少女、今にも折れそうなか細い4本足で歩くグレーの犬、どんな麻雀の台を買おうか話し込む中学生男子×2。もっと沢山あったはずなんだけどあやふやになって蒸発した。それでいて、おかしく感じられて妙に記憶にのこった。私はそのおかしさをここで繋ぎ留めておきたかった。酒が抜けて、ふらっと読んだfktack さんの文章に、ちょうど昨日の今頃の時間に考えていたようなことと重なるようなことが書かれていたので、勇気を振り絞ってちょっとだけ考えてみたいと思う。

 

今日も昨日もよく冷える。先の文章で、fktack さんは運転していたらしいが私は歩いていた。よく空気が冷えるから、その光景を小さい機械に打ち込む意欲はすぐさま減退して、まるで亀のように、私は鼻あたりまで上着に顔をうずめ、手はポケットに突っ込んだ。ポケットには財布とアイフォーンと、糸井重里村上春樹の『夢で会いましょう』を入れていた。<移動中にアイデアが浮かぶ>だとか<話すように書くのは難しい>だとか、ここでは沢山の(本当に無価値な)メモを残してきた。そういった記事をキチンと引っ張り出そうとしないところに、私の能力の限界があると感じるんだけども、多少なりとも、ここを読んでくださる読者*1の方と、何かを書くことや読むこと、あるいはアイデアを引き留めておく方法論を、さまざまな形である種、意識の共有をしてきたと思っている。だから私は、その手の記事はなるべく読むようにして取り入れようと試みてきた。意図としては、シェアする文化が多様化した今日において、いろいろな書き手さんの考えや思索を、可能な限り自分の中に通わせてきた、という感じかな、、。もちろん正解はないし不正解もない。<ベターな選択>を探してきた。

 

 

 

私はここでずいぶん図々しくやってきたと思う。何かを書いて、想定する以上に誰かが読んでくれて、時にコメントや反応をみる。その流れの中で私は、十分と言って良いほどの学びがあったし、それは要するに、日々ネット社会の功罪を嘆いて叩いて糾弾してやまない、それを一つの「快楽」として生成する人がすぐそばにいてもおかしくない状況をぐるっと見渡してみて、一概に「ここ*2はよくないところ」と断ずるのは早計すぎる、ということを経験的に体得することができたんじゃなかろうか。

話が流れたのでグッと引き戻すと(とはいえ、元を辿ればその戻るところもないので転換するという形をとると)話すように書くということについて考えてみて、私はここ最近「だ・である調は、お偉いさんによる『上から目線の啓示』か、あるいはリアルな声にはならない『ひとりごと』である」みたいなことで、一つまとめて見たかった。だがそれも中途半端に頓挫して、今は下書きに眠っている。それでもなるべく今思ったことを書き残すためにPCに立ち向かうと、です・ます調による、話し口調や崩れた文体は聴きやすいし、視覚的にも優しいが、だ・である調の前者は、スッと身に沁みこんでこない。皆が皆、おしなべて何らかの色眼鏡をかけている。以前、為末さんの文章にこんなのがあった。(おそらく自身の地位の変化に際して)「 だ・である調から、です・ます調に変えただけで、こんなにも炎上しなくなるのか」と実感したらしい。 こんな話だと記憶しているが、これは私にとって、しっくりきた一方で、ちょっとした混乱を含みつつ、考えを深めたきっかけになった。

たしかに私たちは、普段の語りにおいて、だ・である調で話すことは少ない。説明責任を求められる官僚や、むずかしいことを講義で話す教授も、文書に堅苦しいことを書く一方で、です・ます調で、丁寧に(時に自分の地位を揺るがすことになろうとしても)物腰柔らかく話す印象がある。記憶によると、だ・である調で抑圧的に話すのは、トランプ次期大統領の言葉を翻訳したものだけで、あれをメディアの悪意と捉えるかどうかは置いてといて、私たちが日常を送る上で、大体、だ・である調で話す機会は少なくないか。また、だ・である調を、レポート的報告書のいち作法かどうかは置いといて、案外私たちは、だ・である調を視聴覚的に受容していることを認めておきたい。

特に私は、ここに何かを記す作業を繰り返してきて何度もそのジレンマをみてきた。まとまらないなりにそのジレンマについて書いていく。話すように書きたいのは、自発的な想像の中の欲求の問題である。記憶の引き出しにぼやっと収まる言葉たちは、<だ・である調>で、一旦それを白い紙に並べてみるとその異常性が拭いきれない。しかしながら、話すようにして書こうとするとき、だ・である調がしっくりきてしまうのは、そういった文法を日常的に視聴覚しているからであり、それがある種、正しいもののテンプレートとして受け入れられているからである。

だから言葉は、(どんな形であれ)受け売りのパッケージ化においてをアーカイブされ「これどっかで見たことがあるような文章」みたいなかんじの既視感を覚えながらも、個人が個人のレベルで体得していくんだと思う。偉そうなことを言えないけど、これぐらいのレベルにしか自分にはまとめられないのが残念。そのジレンマというのも「自分こんなこと言わないし、話さないよ」と思いつつも「書いてみるとそんな文体になってしまうなあ、これじゃあ送りたいメッセージが送ることができないよ」という感じに落ち着く。これが私が勝手に考える<日本語のジレンマ>です。

私は、為末さんくらいのレベルではないのでさほど影響力はないから、炎上する恐れはないにせよ「言葉が誰かの身体に染み込んでいく」というある種、感情の操作に加担する一人のケースにおいては、こんな私ごときが、だ・である調で何かを書く時「お前の口からはそんな言葉は出てこないだろう」であったり「何故そんなに抑圧的なのか」であったりの返信メッセージを読み取らなきゃいけない時がある。そんな無言の返信メッセージの存在は、私が本来含ませたかった<直截的なメッセージ>を追い越して行ってしまう。

この点に関しては、とりあえず前に置いといた「だ・である調がひとりごとである」という側面を考慮してみると「まあ書いてあることはこんなことを伝えたいんでしょ」という理解のギリギリラインに着地することができる。つまり、ブログというフィールドにおいては、多少なりとも過度な政治的発言も「ただのひとりごとだろう」といった推し測りによって鎮火されるようになる。でも現に、そんな推し量りがされない、なんでもかんでも<政治化しようとする社会>が、目の前に出来上がりなおかつ迫ってきているから、息苦しくて窮屈なリアルに直面するんじゃなかろうか。まあでも、ここでそんな政治的発言をしようと毛頭にも思っていない私は、リアルな生活において声にすることができない言葉たちを、仕方なく、とりあえず白紙のページに並べていくという作業から始めたいと思っている。

fktack さんのページにもあったが、私も普段からこんな話し方はしないし、どちらかといえば真反対な物言いをするかもしれないが、リアルで私を知っているものからすると、ここに書いていることは多分、(バカにできる点で)おもしろい標的にしかならない。その状況を知った上で、私にとってのここは、「日常生活における抑圧を解放するためのフィールドとしてのみ機能する」という、限界ラインの確認作業でしかないのかもしれない。

 

久しぶりにたくさんかけて満足している。こうやって書いてみると、やっぱりブログはブログだし、私の書くものは所詮この程度のものか、と納得させられてしまう。単純な比較は出来ないし、正確さを求めないという前提で書くなら、私の文章はやっぱりリズムが悪いし読みにくい。でも、fktack さんの文章には一定のリズムがある。特に私は、*3その文章において、時々リズムの乱れの部分があることに気が付いた。結果として、その文章のリズムが乱れるところにしばしば魅了され、面白いと思ってきた。ここで始めた時からほぼ毎回読ませていただいている。そして「教えを乞う」とか「学びたい」とかそんなスタンスの構築は無価値だと思いつつも、あんな文章を書きたいな、と思ってきた。つくづく、運良かったなあと感じています。

 

最初に置いといた違和感を持った風景の話、ものすごくいらない気がするなァ。

 

 

追記.

 

ちょっと見返してみると、クリスマスにこんな記事書いてたんですね。タイトルのように「酔ってい」たからか、ほとんど内容を覚えていない(笑)貼っておきます。

masa1751.hatenablog.com

 

**fktack さんにとって、意に反する内容があった場合ごめんなさい。

*1:という言葉を用いるとすごく図々しく感じられるけども、一般に、ここを読んでくださる方に対する通称として使う

*2:ネット全体を包括して

*3:勝手な解釈ですみません