何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

胸、イズノット・ポータブル、機能的な駅

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僕の書く文章は特に読みにくい。脈絡がなく、なんの予告もなしに場面は切り替わるので、前後の文章の関係がとても読み取りにくい。これじゃあ国語の評定は晩年3であるに決まってる。たとえば誰かの小説だと、その脈絡のなさが会話文や、主人公の背景、思想などの目には見えにくい部分にフォーカスされていき、一気に物語が厚みを増していく。その厚みが、憶測や推理を生み出し、あーでもないこーでもない、をページの上で実演させる。私にもあれがほしい。散らばった粘土やレゴ・ブロックを組み立てるように、やや不恰好な形でもよいからひとつの物語をまとめてみたい。そう、一つの文章において。・・・私の真向かいの席に座ったギャルが「(うちの)地元の駅はちょっとおっきいけど、(いっぱい)買い物するところとしてのみ機能してるの」と言った。耳を疑った。

「機能しているの」・・・?。

 

・・・目の前にいる女は私をゆびさしてこっちにきて、と言った。私は言われるがままにその女のもとに行って、何かあった?と聞いた。女は、何かあった じゃないでしょ、と言った。「あった」と「じゃないでしょ」の間が少しあいたのが気になったが、私は頭の中で過去の行いのプレイバックにきりかえようと、手元にあった三ツ矢サイダーの350ml缶の上タブを垂直に引いた。タブを引くと勢いよく炭酸水がはじけた。飲む?と聞くと無視された。その勢いは清々しい夏を思わせたが、私は冬にだってたくさん三ツ矢サイダーを飲む。だが実は、三ツ矢サイダーよりもコカ・コーラが好きだ。アイスだって冬に食べる。・・・私は自分が何かいけないことをしたのか思い返してみたが、いまいち思い当たる節はなかった。何しろ、その女と話すのはその時が初めてであり、いわゆる初対面だったからだ。私は少し考えたふりをして、君とどこかで会ったかな?と訊くか、何か君に悪いことをしたなら悪かったよ、ごめんねと言ってしまうか、迷った。迷った挙句私は、しっかりと黙り込み天を仰いだ。雲がゆっくりと流れるのを見た。黙り込んだ時私は、純喫茶のキッチンの奥で、背の高い紙パックに隠れる栄養剤の小瓶を思い浮かべていた。その純喫茶では、ジャズがひっきりなしに流された。スムースジャズやビッグバンドジャズ、メロウジャズ、ピアノ、ギター、何から何まで流された。小さなスピーカーから漏れ出る大きい音たちは、そこに出入りする客を楽しませた。時折、ばあさんが手を叩き、これ私聞いたことがあるよハハハ、と口にした。その声がマスターの耳に届いているのかは不明だったが、客の顔と手元のグラスを交互に見るマスターは、たえずウンウンと首を動かしているように見えた。そのマスターは(私が勝手に奥さんだと思っていた)女性従業員と話す声と、客である私たちと話す声と、トーンがふたつ分ほど差があった。また、馴染みと思われる客に対しても声のトーンが変わった。女性従業員はマスターの「先帰ってててちょうだい」という言葉を受け取ってから、16時半を境に、 帰ってしまった。とくに物腰が柔らかく、グラスの結露によってしたたった水滴を彼女はまったく見逃さなかった。すみませんね、ありがとうございます、ええ、。と、何に対して謝り、何に対してお礼を言っているのかわからなかったが、常に頭を下げていたと思う。・・・また話が長くなってしまった。・・・タイミングを見計らったように雪が降ってきた。話題を出す機会がめぐって来たと思った私は、雪が降って来たね。今日は雪の予報だったかな、と呟いた。問いかけたつもりだった呟きは、やはりただの呟きでしかなく、ただその女と私の間を漂う空気のように一旦姿を見せたもののあっけなく霧消した。私とその女の間には一本の小川が流れているような距離感があった。確かに私がその女に近づき、もっと迫るように、問いかけるように話しかければ、今日はもともと雪の予報だったはずよ、であったり、雪が降るなんて珍しいことじゃないわ、と返してもらえたかもしれないが、それは今となってはタイム・オーバーだった。元より、私が猫をかぶる必要がなければ、そんな愛想ない答えを求めてすらなかった。その女はいつの間にかタバコを口にくわえていて、胸元はしっかりと深呼吸するようにおおきく上下動していた。胸元はしっかりと閉じられたセーターだった。あるとき私の彼女は、女性の胸が大きく見える時ってどんなときだかわかる?と聞いてきて、興味を持って僕は、わからないな、と返した。(胸はもちろんのこと)首元まで閉じてる服だと大きく見えるんだって、と面白おかしく話す彼女をみて微笑んだ。それから私は、女性の胸の大きさが気になって視線がいくというよりも、その女性の上半身の服装が、胸や首元をしっかりと隠しているかどうか、に興味が移ってしまった。もとより、条件として大きい人はどんな服を着たって大きく見えるのだが、そうでない人はそういうある種ひとつの工夫を意識するだけで、、、というのが、彼女の訓えの趣旨だった。それ以来私たちの会話では、ときおり、あの人首元まで隠れてるね、と言葉を交わすことが多くなった。・・・その胸の膨らみから見てもわかるけれども、その女は明らかに女だった。しかしながら何故か私は、その女の女性らしさに違和感を抱いた。その違和感の正体がわかるのは、だいぶ後になってからのことだった。会話が生まれるのを待ちながら、女のくゆらせるタバコの灰が自然に落ちるのを見た。まだ二、三度口にできるほどの長さだったがそれを地面に放っては7センチのヒールで(強調するが、あえてヒールの面積の少ない部分を使って)火をもみ消した。火はあっけなく消え、周りの土と違いがわからなくなった。また一本女は口にくわえた。もしかするとそれはちくわでもきゅうりでも、あるいはローソクだってよかったかもしれない。横顔がきれいだった。女の化粧は派手だったがそれは年相応のもので、とてもノリが良かった。良かったという判断はあくまでも私の、男性としての視点であって、女性から見た場合それは(もしかすると)良くないものだったかもしれない。その女がたとえば生物学的に、あるいは社会学的に「女性」であった場合、どんな基準をもって、ここから外に出てもいいというスタートを見切れるのだろう。少し考えてみた。世の中には電車で化粧をする人種だっている。余計にわからなくなった、人はそれぞれだ。女性はもちろんのこと、私たち人間のファッションというものはとてもとても不安定で、頼りない。こんな格好をしていれば良い、という正解は、あるにはあるのだけれども、それはあくまでも自己が規定するのであって、たとえば子供の頃から衣服その他を保護者に選んでもらっている人の場合、その人はその他者の基準を依りどころにして生きていくのだ。ずっと他者の物差しはどこへでも持っていけるわけではない。(イズノット・ポータブル)ずっと。で話は戻るが、そのギャルの駅の「機能的」というワードが出た話題がおもしかった。彼女によると、彼氏が迎えに来てくれなくて、その理由がばあちゃんを町内会に送迎するからだそうだ。町内会に時間の制限はなく、いつになったら終わるのかわからないから断られた。私は、その彼を愛すべきだと思う。