何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

それは言葉の文だしね

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村上さんが「騎士団長殺し」を出してから、その内容やこれまでの村上作品について触れる対談本を出された。川上未映子と、新潮社より。池袋のジュンク堂で買った。4月のよく晴れた日だった。たまたま立ち寄った日が発売日だったかあるいはそれに近い日で、ラッキーと思ってすぐに買った。川上さんは村上さんの熱心なファンであり、インタヴュアーとして立派な質問をたくさん投げかける。特に印象的なのは村上さんが川上さんのするどい質問に対して「うーん、(過去の小説に)そんなこと書いたかなあ」と答える場面だ。過去に書いたものは恥ずかしいから読み返さないんだよね、ともさらっと村上さんが言いのけるのに、川上さんは何度も肩透かしを食らう。そのやりとりが面白くて、都度手にとって読んでしまう。
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程度はまったく異なるが、僕も何年かに渡って何かを書いている。中学生の頃からを含めるともう10年にもなる。内容はまばらで統一性がない。読者なんてものはあってないようなものだし、質/量ともに固定的なリアクションがあるわけでもない。以前に書いたことは忘れてしまっている。体裁としては「生活の記録」「いつか読み返すため」と思っているけど、よほどのことがない限り読み返さない。しかしこのくらい続けていると、いざ新しく書こうとしている最中に「あれ、これどこかで書いたな」と思う時がある。ちょっとした既視感だ。そしてそれはたいていの場合、今ならもう少し読みやすく書けそうと感じる。文そのものをいったん忘れてしまうことが大事なんだと感じざるえない。ただそんな数ある駄文の中でもごく稀に「こんなことをこんな時期に書いてたんだ」と感心させられることが少なくないのも事実だ。ほんとうにこれが自分の頭から、自分の手によって書かれたものなのか?とちょっと疑いたくもなる。でもそれが「記録」というものだろう。 
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「忘れてしまうことを恐れるな。人間(の脳)は忘れるようにできている。それを受け入れることが記憶することの本質です」。そのようなことを言ったのは外山滋比古である。けっこう印象に残っている。忘れ物をしても、しょうがないなと思える。だって「忘れる生き物」なのだもの。
安直とおもわれるかもしれないけれど、僕は3.11の時期が来るたびにこの言葉を思い出してしまう。忘れないことなんてできない。だから年に一度は思い出そう。そんなことを言ったアーティストがいて共感した。僕はというと、あのできごとに関連することをこれからもことあるごとに書き続けると思う。なぜだろう?いや明確な理由なんて必要だろうか。震災はあってはならなかったものであるのと同時に、あったことによって自分自身の何かが変わったと実感しうる重要な一つの体験だった。
やや話は飛躍してしまうが「震災を経て日本は変わったか」という見出しにはいつも首を捻りたくなる。変わるも何も、災害によって実際的な生活が大きく「変わった」人がいるのだから、議論するほどのことではないだろうとその度に思う。「被災地(ヒサイチ)」「被災者(ヒサイシャ)」という言葉にいやに敏感になるのは、あるいは僕だけかもしれない。なんだか居心地がわるい。被災された地域、被災された人々。たしかに意味は通る。ぜんぜん問題ない。でもなんだろう。あの時、僕の自宅、周辺地域は無事だったが、自宅からたった数キロのところには、想像を絶するような甚大な被害をうけた地域が広がっていた。歩いてでもゆけるすぐそこには「凄惨なエリア」があることをTVでしり恐れ慄いた。高熱を出して布団でくるまりながら、懐中電灯兼ラジオの取っ手をぐるぐると回しながら「安否確認不明者」の中に知り合いの名前を聞き取ったときの背筋の凍る感覚は、今でもリアルに思い出すことができる。あの無機質なアナウンサーの声。
短縮語なんて言葉の文(あや)だし、報道する上の性質でもある。でもなぜか浮かばれない。僕は被災した地域(のそば)にいながらにして被災者ではなかったからだ。ここに少なからぬ文字数の、記録として残しておきたい。