何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

3月13日(イケダミナミちゃんについて)

 

 

   仕事での文章には「抽象なもの」はいらない。だいぶましになったかもしれないけど、時々「おっとこれはいけね」みたいなことがある。無意識で書いているから本当に油断ならない。もちろん、ここでも求められないのかもしれないけど、少なくとも誰かに注意されるわけじゃないから自由に置いておくことができる。もし今ここで「おい、ゴミ落ちてるぞ。お前拾えよ」みたいなことを言われたら、枕にに顔をうずめてシクシクする他ない。学生時代の卒業論文の時もそうだったけど、日常で求められる行動の反動が「ここ」なのかもしれないと思う。

もちろん、完璧な文章などどこにも存在しないのだが、。

 

 

       ☆☆☆☆☆☆☆☆

 

ところどころ書き直しました

    抽象的なことを書くのは、本当は骨が折れる。疲れる。気力がいる。そして気を遣う。誰も期待しているわけではなく、見返りがあるわけではないのに時間を割くことはやはり体力的に非効率だ。

やはり気を遣う。はたから見ればそれは「徒労」以外の何ものでもない。でもなぜか書いてしまう。背中の手の届かないところを無意識に掻いてしまうような、あの感じ・・。 

    たまに、むしゃくしゃして全部消したくなる。でもしない。なぜか。経験による推測から一つだけ言えるのは、ランニングも少しに通ずることだと思っている。身体の隅々から"何か"絞り出すようにして(それがたとえ何の見返りがないものだとしても)、何か形に残すということは決して退屈な「行為」ではないからです。書けば文章、走れば記録。どちらも残すひとはたくさん何かを残す。この継続はとてもシステマチックだけど、ものすごくイマジネーションが要り、本当に突き詰めようとすると非日常的な行為になる。

 

    僕なんかが「僕ら」なんて言ってしまい、たいへん恐縮するけど言う。僕らの世代は「何となく」「漠然と思っていること」が余りにも多すぎると思う。1次情報の量に対して日々入ってくる2次情報が多すぎるためである。とてもじゃないけど処理できない。新聞を隅々まで読む間にどれだけの事件が起こり、速報が流れるのか。だからか分からないが短いセンテンスで「即レス」することが求められる。時として文字ではなくスタンプだ。

    意味わからないけど画面の中、画面の向こうでは確実に「何かが起こっている」。別に役立たない情報がずっとフローしていく。でも役立つものもあるかもしれない。思うにそれは7:3くらいの割合で、情報と睨めっこするので無視できない。処理できないなら開かなければいいのに、ちょっと見てしまう。「まるで何が大切かわからない」。だってみんながいいねと言い、みんながよくないねというから判断力が身につかない。違和感を持っていたらスルーすればいい。被害はない。そこに「いなければいい」のだから。

    送られてきたスタンプに込められた意味は、受け手側が勝手に考えればいい。さらにスタンプで返し、送り手から今度は受け手側に匙が投げられる。「漠然とした思い」は「なんかウケる」でその都度、刹那的に消費精算されていく。お釣りがあるけど気にしない。だってお釣りは募金すればいいから。

「漠然とした何か」は言葉にされなければならないと思う。何か形に残ればいい。何か言葉や形にしようとしたという「事実」が残ればいい。学生の頃から思っていた。

   推測を書く。親の世代までいかなくとも、われわれの上の年代の人は、時代に即した形で「思いにならない思い」を何か形にしてきたはずだ。

   夜な夜な、今はすでに閉鎖されてしまった掲示板やウエブサイトに、ふつふつと思うことを書いていたかもしれない。

    インターネットがなかった頃には雑誌や新聞の投書欄をみて「他の人には理解されないかもしれないが自分にとっては重大な何か」を、匿名という手法をとってつづっていたかもしれない。訳のわからないことは訳がわからないまま誰かの目に触れ、それは10万人に13人程度の誰かにとって「共感できる何か」になった。

「文通」が流行っていたぐらいだ。顔も知らない誰かに対して直筆の文章が送りつけられていた。それが常だった。かたやウエブが発達した現代で、顔も知らない誰かに、リアクションを示すことが非難されていいはずがないと僕は思う。

    そういった「事実」はポジティブな言葉で言えば「思い出」に変わるし、現実的な言葉で言えば「過去にはそんなことがあったんだよ」で済まされるのだろう。そういう実体験のプロセスはたとえ抽象的であってもどこかで目を覚ます。「顔も知らない(あるいははるか遠くの)誰かと繋がった」という感覚はなかなか消えなくて、手のひらの中でぬくもりを持ち続ける。ほんのり温かくて、たまに思い出すと胸が熱くなる。

 

 

    文脈的にも時期的にもあまり関係がないが、一つ書く。覚えているかぎりでは、初恋に近い体験だ。しかにそこに手を握ったとか、胸に突き刺さる言葉をもらったとかそういう描写は出てこない。

 

   僕が初めてバレンタインデーにチョコレートをもらったのは、イケダミナミちゃんという女の子からで、その時僕らは小学2年生だった。彼女について周りの男子は可愛いと言い、僕は彼女のクラスの前を通るたびに、教室の隅っこに座るショートカットの彼女をみていた。日によく当たって焼けたような茶色さだった。僕はただみていた。彼女と幼稚園は一緒だったが何かの話をしたという記憶はない。

   2003年2月14日の放課後、僕は机に教科書を忘れたことに帰路で気づいて学校に戻った。階段でミナミちゃんにすれ違い、そこで何も話さなかった。教室には女子が2人座っていて下校を忘れて話に盛り上がっていた。僕は目当ての教科書を取り、そこを出て、ついでにトイレで用を足した。階段を駆け下りると下駄箱でさっきすれ違ったミナミちゃんを見かけて、僕は話しかけようか迷った。

なぜ話しかけようとしたのかはうまく思い出せないが、その時の僕が直感的に思ったのは、「ミナミちゃんもひょっとすると僕に話しかけようか迷っているように見えた」ということだった。

   僕らは互いに違う色のランドセルを背負っていて、互いの存在に気づき、何秒か立ち止まった。僕は下駄箱から靴を出し、足を入れようとかがんだ時、ミナミちゃんは僕の目の前にきてチョコレートをスッと差し出した。僕は驚いて何も言えなかったが、無意識にそのチョコを受け取った。ありがとうを言えなかった。何と言えばいいか判断がつかなかった、というのが正確なニュアンスであろう。

   僕にチョコレートを手渡したミナミちゃんは、まるで一人で満員電車から降りるように何も言わずスタスタと昇降口を抜けた。僕とミナミちゃんは地区が違ったので帰り道の方向が別だったから、僕はミナミちゃんに話しかけることができなかった。

    彼女は結局、次の新学期が始まる前に千葉だか何処かに転校してしまっていた。そのことに気づかないまま、何も言葉を交わさないまま、彼女は「いなくなった」。転校していた事実を知ったのは、5月のよく晴れた運動会の予行練習の時だった。

   僕と彼女の接点といえば出た幼稚園が一緒であり、ただ同じ小学校に入ったという事実だけだった。なぜ彼女が僕に、2月中旬の放課後、下駄箱で何も言わずチョコレートを渡さなければならなかったのか。今でも判然としない。あの瞬間に見えたミナミちゃんの横顔と足早と去っていくところを考えると、ミナミちゃんは僕なんかではなく別の好きな男子にチョコレートを渡せさ予定だったが叶わず仕方なく(義理チョコとはまた違った形で)僕にくれたのだと想像している。

しかしまあ、これも不思議なことに僕はミナミちゃんが笑顔でいたところを思い出すことができない。