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ビールと平昌オリンピック 

 

男の作法 (新潮文庫)

男の作法 (新潮文庫)

 

 

 

 

 目下、平昌(ピョンチャン )で行われているオリンピック、女子パシュート競技で日本チームが五輪新記録で金メダルを獲得した。海を越えた隣国韓国でやっているわけだから、日本に比較的近い時間帯(ほぼリアルタイム)で中継を見ることができる。この冬、金メダルを取る瞬間を目の当たりにするのはこれが初めてだった。僕はその中継を、ビールを飲みながらゆったりと観賞していたわけだけど、そこにはなかなか胸を込み上げるものがあった。

     金メダル獲得後のインタビューで高木選手(姉)は「私一人で取ったものではなくみんなで取った金メダルなので感無量」と言った。この選手はスピードスケート個人において、小平選手に次いで銀メダルを獲得している。その背景を知っていると、これまた胸を込み上げるものがあった。気がつけばビールの入ったグラスを片手にTV画面に釘付けになっていた。このインタビューの際、背後ではバンという音がなり、直後に大きな歓声が起こった。何か別の競技が行われていたのである。高木選手(姉)はインタビューで、それまでよりも声を大きくし、懸命に感想を伝えようとした。

 そういえば社会人になったら読むべきものというタイトルの特集に、池波正太郎の「男の作法」が紹介されていた。天ぷらの食べ方やらお店の選び方など大人になったら知らなきゃいけないことがみっちり書かれているというので気になっていた。ある通販サイトでこの本を眺めていたが、こればかりは書店で中身を見てみてから買おうと思った。調べてみるとこれは1984年に出されている。つまり私が生まれる10年前、そして現在読んでいる1Q84の時代。まあそんなことはどうだっていいのだけど、そこに書いてあったビールの飲み方が印象的だったのですこしだけ書く。  

    薄々は感づいていたわけだけど、ビールというのはグラスに継ぎ足して飲もうとするとどうしてか不味いものである。感覚的には知っていたのだがまさにそのことが「男の作法」の中に書いてあり、強く啓蒙されている。小さな冷えたグラスを用意し、ほとんど一気飲みのような形で呷っていく。グラスが空になればそこに注げばいいし、グラスが空にならなければ注いではならない。ワインと異なり、空気が入り液体がかき回されるのがよくない、とのことだ。

 でも現実を見てみよう。ある飲み会で男性二人は(片方はTV局、もう片方は某地方電力会社に勤務)「こんなちゃっちなグラスだともったないんだよ。ジョッキをちょうだい!」と言って店員に持ってこさせた。店員は律儀に冷えたジョッキを2つ抱えてやってきた。冷えたジョッキに大瓶からビールを注いでやるとそれが実に美味そうに飲むのである。まあ飲み方には人それぞれ好みはあるのだから「男の作法」という、ほぼ古典的な啓蒙書が十全ではないことくらいわかっているのだけど、ビール注ぎながら僕は小さなグラスでほとんど呷りながら飲むやり方が気に入ってしまっていることに気がついた。その方が確かに「飲んでいる」感覚が強いし、それはそれで「飲み過ぎない」ということに少なからぬ影響を与えているのかもしれない。だからこの頃は、一方でワインを小さなグラスでちびちびと飲むのもよしとしている風である。それが私にとっていくぶん健康的であるし、何よりお金が無駄にかからない。

     とはいえカールスバーグハイネケンは小ビンで飲むのがやっぱり心地いい。あれはきっと缶でならないし、大きなグラスに一気に注ぐなんて「夏にキムチ鍋をしようよ」とSNSで呼びかけるくらいやってはならないことなんだと思う。

 

 結局「男の作法」は買っていません。なんだか他の本も気になってつまみ食いするように手に取っていたら、買うのを忘れて店を出ていてしまった。とりあえず僕なんかはブルータスとポパイを読んでいれば、ちょうどいいのかもしれない。