リハビリとトレーニングの間(はざま)で

87パーセントはフィクションだと思ってください

「時間がない」ことについて

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★本を読んだり、美味しいお酒を飲んだり、走ったり、、、おもに趣味に対して時間を注ぐ時、私たちは「時間がなくてできない」といいますね。確かにわかる。私は、「時間がない」はつまり「余裕がない」ということだと思うんです。もしかすると物理的に「時間はある」んだけれども、それらに時間を注いでやっている「余裕がない」んですね。★それは例えばツボに大きな石か岩なんかがゴロゴロ「入れられて」しまうイメージ。でもそれは他ならぬ誰かが無理やり入れるのでもない、自分自身が自分の意志で、ツボに石やら岩を入れていますね。これが私なりの自己責任に対する意識です。でも、そうではない時も確かにある。仕事中心の生活というのは確かに、1日の大半を仕事に時間を注ぎます。それなりに時間が奪われます。突発的、継続的な「残業」は確かに私たちの「余裕」を奪っていきます。これについてはまた追って書きますね。

 

★手帳でもカレンダーでも何でもいい。「スケジュール帳に空白があると不安になってしまう人がいる」と、どこかで読みました。私は大学に進学して初めて手帳を扱ったのですが(恥ずかしながら)、確かに空白ばかりで「そわそわ」しました。昼休憩から授業の時間を使ってまで「手帳とにらめっこ」をしている女の子や男の子を見ると、何をそんなに書き込むことがあるんだろう、と不思議に思ったり。同時に、羨ましく思った。もしかすると「妬み」だったかもしれません。「私はこれくらい忙しい」んだから「何をするにも暇がないのよ」みたいなメタ・メッセージを受け取っているみたいで、会話とは逸れた形で友人が手帳を開き始めるとたびたび私は席を立ちました。

けれども一方で、自分が時間をかけて「手帳とにらめっこ」していると、「忙しいピープル」の仲間入りをした気分で、ちょっとだけ自分に酔ったりもした。

★「計画を立てる」ということは、ツボの中身がどのくらいあるのか顔を突っ込んで確認し、小さいものや大きいものを順々に入れていく作業です。「まだこれくらい余裕があるから入るぞ」という確認ができる。もしかしたら余裕はないのかもしれないけれど、中身を知らずにゴロゴロ降ってくる石や岩をあたふた対応するよりはよっぽどまともな訳です。

 

★手帳に対してあまりちゃんとした考えを持っていなかった私はこれまで、買うものも薄っぺらでスペースの小さいものを適当に用意しました。何だか愛着もわかないし、大事なことを記入しようとした時に手元にない。持っていても持っていなくても変わらないような状態。さすがに社会人2年目はまずいぞ、と(今更ながらに)思って、1900円くらいの分厚いものを買った。仕事や会うことになるかもしれない人との小さな約束から、半年先にもなる大会やイベントのインフォーメーションを片っ端から書き込むようにした。先に書いたように確かに予定は詰まっていて幾分余裕はないんだけれども、一方でどのくらい「空き」があるかということも認知できるようになるため、たとえ僅かな時間のトレーニングでもその場その場で詰め込むことができます。★矛盾して聞こえるかもしれませんが、余裕を持って「時間がないと思える」から本や(最近控えようと思っているはずの)お酒や、トレーニングなど主に趣味に充てる時間を認知できます。認知できているとそうでないのとでは、全く違うんだとよく実感。

 

 

★私たちはよく忘れる。これは逆をとれば「忘れるようにできている」し「忘れないとよく生きることができない」。2年前くらいにやっとの思いで手を取って読んだ、外山滋比古氏の「人間の忘却」に関するエッセイがじわじわと効いてきています。忘れることを恐れるならば、いっそのこと「私たちは忘れるもんだ」と胸を張ればいい。その代わりに、です。忘れることを知っているだけ、その対策は事前に措置しておかなければならないと思う(それは自己責任で!)。付箋をベタベタ貼ったって、その日で捨てたら終わり。※ちなみに私はその日の終わりに、TODO事項を記入したメールを自分宛に送るようにしています。まずだいたい、メールを見ない日はありませんからね。

 

★「時間がない」ということについて書こうと思ったら、とんだ脱線をしてしまいましたが、「雑談に付き合った」ぐらいの感覚でいてもらえると嬉しいです。それでは、また。

 

(写真は六本木・けやき坂から見た東京タワー)