「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

隣の女に関する冗談

 

 僕は土曜の昼下がりに、どこにでもあるようなカフェの一角で一息ついていた。僕が座って5分後くらいで、隣にすらっとした女性が入ってきた。特に意味もなく僕はその女性のほうに顔を向け、どのような顔をしているか見てみた。同時にその女性もこちらを向き、僕たちは一瞬だけ顔を見合わせた。

 僕は女性の事を見ていないとばかりに焦点をわざとずらし、女性のその先のものをみているようにふるまった。思えば僕は、このようにしていろんなもの、こと、ひとを見てきた。

 

    女性はまだ僕を見ていた。正確に言えばそれは正面を向いた僕の横顔の目を見ていたはずだった。大変ピンポイントなところだ、と思った。

 

***

 

 僕が今朝、部屋の玄関を開け外に出ようとした時、隣の女の子も同時に扉を押していた。こういう偶然は、あってよくないものである。なにせここに住んで一年がたつというのに、われわれはまともな挨拶を交わしたことはなくて、もちろん菓子折りを渡しあうなんてことはあるはずがなかった。

 僕と女の子は3度だけすれ違ったことがあり、うち2度は、女の子は顔を合わせないように玄関扉の反対側を向いていた。だから自然と僕は、その理由は分からないにせよその女の子に嫌われているものだと思った。

     恋人を連れ込み、夜遅くまで騒ぎ、朝の6時47分に決まってタバコを吸う。思い当たる節ならこれだが、実は間違いだ。そのスケジュールは女の子とは反対方向に住む女のものだ。この厄介な女は背が低く、割に肩幅がしっかりとしていた。夏に少なくとも5度は見かけ、全て黒のタンクトップを着ていた。女は夜中の1時半にベランダを出て(あるいは窓を全開にして)大声で電話をする。(しかも英語で!)嫌と言うほどタンクトップ女の英語が頭から離れない。

    ここでの快適で良好でささやかな一人暮らしというのはほとんど四月の時点で諦めていた。

 しかし今回は挨拶の言葉が向こうから投げかけられた。それは「朝はやくから掃除機をかけてごめんなさい」とでも付け加えたそうな「おはようございます」だった。女の子は強めのパフュームをまき散らしながら、通り過ぎた。きっとつけ慣れていないんだろう。

 後をつけていると思われたくなかったから僕は、背中のリュックでドアを押さえながら玄関の床に足を置き、いつもより3倍丁寧に時間を掛けて靴紐を結んだ。やれやれ。と僕は思った。これじゃ朝早く起きた意味がないじゃないか。いつも僕はエントランスに出る前の階段で靴紐を結ぶようにしている。エントランスに行くとさっき香ってきたパフュームの匂いがこべりついていた。そこでもひと噴射していったような感じだった。

 

 階段で一度、グレイのホットパンツに水色のスポーティシャツ、黄色いランニングシューズの外国人の女が降りてきた。女は自分の胸の形がくっきりと浮き出ているのを全く気にしている様子もなく「おはようございます」とかたことで言った。僕はまるで何か宗教的な啓示で語りかけられているような気分だった。女は今から走りにでも出るのだとばかり考えていた。健康的な生活だ。

 だが僕は、胸のかたちがくっきり浮き出た女と乗った電車ではちあわせた。そこでは世の中の条理にそぐわない何か間違ったものを見ているような気分にさせられた。女は確かに駅まで走っていったのかもしれない。その証拠に女の額にはじんわりと汗がにじんでいた。水色の女は僕に気付いて「おはよう」といった。2度目のおはようだった。「グッドモーニング」と僕が返すと「アイキャナットスピークイングリッシュ」と流暢にしゃべった。「君は嘘をついている」と僕が言うと彼女はきれいに笑った。

 すでに上りはじめている太陽の光が彼女の首もとを照らした。彼女の汗はすっかり乾いているようだが、僕の背中にはいやな汗が一本つたっていた。僕は朝日の筋道と行き先をみながら、広告で吊るされるビールの味を想像した。とてもおいしかった、と記憶している。チック・コリアの演奏する「スペイン」を聴きながら、さわやかだけどとても気持ちの悪い朝だ、と僕は思った。

 

 

***

 

 僕が考え事をしている間に女性は僕のすぐ隣にまで来ていて、グッと目を覗き込まれた。不思議と怖いとかそういう感情は湧かなかった。例えばその目は、「わたし今無慈悲な連中に追いかけられていて、匿ってくれる誰かを探しているの」と言い出しそうな目だった。僕は大きな音で音楽を聴いているから好きにしたらいい。その代わり話しかけたって気付かない、と言おうと思っていた。すると女性は僕に向かって「みつけた」と言った。背中がぞわっとし、からだが動かなくなった。今思い出したって鳥肌が立つ。