何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

本音②(したいしたいじゃダメなのはわかってます)

 

 


GLAY / いつか

誰にでも 誰にでも言えない夜が 泣いた夜があるね  GLAY/いつか

 

 

好きな歌とかアーティストに飽きる時がくるのがつらい。すごいヘビーローテーションしてる時にふと冷静になってみて「あれ、これ明日になったら飽きてるのかな?」とか考えてしまうことがある。うまく言葉にできないし、自分でもよくわかってないんだが誰かに伝えたい。

私たちは消費してるぶん確かに捨てていくものもたくさんあるはずで、その流れはおかしくない。無限大にただ消費し続けられるわけじゃないんだな。そしたら。思い出のゴミたちはどこにあるんだろう、と。でもね。最近気が付いたのは「それもまた時間が解決してくれる」ということです。GLAYがそれを証明しました。

 

この頃はまた聴いているんだけども、高校時代あれだけ聴いたGLAYが、いま聴いても飽きない!まるでブランクを感じさせない*1。なつかしい。でも。これ全盛期に思春期を送ってた人とはまた違うよね。僕らにとっては毎日毎週テレビをつければGLAYが出てるなんてことはなかった。特番でやっとだった。

それでさ。GLAYは僕にとってざんねんなおもいでとセットになってる。当時付き合ってた彼女は、僕がやたら聴くのでGLAYやL'Arc〜en〜Cielを好きになりました。それでいつの間にか僕よりも詳しくなっていて、僕の方が教えてもらったりした。まあいざこざがあってお別れしましたが、この女の子との情事はちょうど震災の時期だったので何かと思い出されます。電車がはしってなかったから1時間掛けて自転車を漕ぎました。いつもリュック脇のポケットに入れて大音量で聴いてた。自転車で風を切る感じが懐かしくて、今でもあの時みたいに登下校したいけど登り道(山道)が辛くて吐いちゃうだろうなあ・・・。泣いちゃうだろうなあ。

それで。あの頃聴いてたGLAYの歌詞は本当に意味がわからなくて、そこから考えると意味わからない文章を好きになるっていうのは村上春樹を好きになるのも必然だったかもしれないよね〜という無理矢理感(そして失礼)。でも今になって少し理解できるかも。大人になったのかなあ。経験もすこしはぶ厚くなったのかなあ。

 

 

夏音」聴きながら、もう秋ですね、って言ってみたいけど言える相手がいない。夜のベランダで一人くちずさむ。わからないよなあ。


GLAY / 夏音

 

誰かがね、お前はまだやれるはずだって言うんです。これ去年の今頃言ってほしかったですよね。僕は実質的に、陸上競技から離れるとき、(僕は)まだまだやれるって思ってたけど、その誰かはお前は無理だよって言った。あっさり。これでふんぎりがついたとは思えないけど、そんな誰かの声を聞くのもひとつだなと思って、その時はすんなり受け入れた。

でもね。受け入れたはいいものの気がついたらランニングシューズの紐を結んでいたんですよね。あれれ走ってる。軽いぞ、進むぞって。気がついたら1時間くらい走ってて、脚も軽く痛くて。もちろん筋肉痛です。心地よい痛さ。暗い道を走ってると自分の足が速くなったような気がして張り切っちゃうみたいで。まったく困ったものだ。

さて。指くわえて待ってたってしょうがないと思って、いざシューズにシャツにパンツを買ってみた。走ってみた。まったく走れなくて大変だけど、こんな身体になってみてわかることもあります。何より軽い。何より走れない。何より(地面からの)跳ね返りがない。何よりすぐ疲れる。ネガティブなことならいくらでも羅列出来てしまいますが、そろそろやらなきゃなあ、と。

ゴムばりのトラックをさーーーっと駆けたいんですよ。苦しくても、いやいやスタート地点に向かいたいんです。前のめりになって、ヨーーーイドンって一歩目を踏み出して、みえない自分と牽制しあいながら、お、行くか?行くか?って「力(ちから)」をコントロールしたいんですよ。ゴールしてから、水分があるところまでたどり着かなくて、パタリって倒れ込んで余力があればひっくり返って天を仰ぎたい。できればそこには秋晴れにうろこ雲があるといいなあ。したいしたいじゃダメなのはわかってますよ。

 

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*1:何のだ