何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

春はとっくに過ぎました

今日ぐらいは好きなことを書く 「隈」

 

毎日、パソコンに向かっています。ここさいきん、調査だったり課題やらに追われていて少し疲れました。課されたテーマに対して、思ってもいないことや「それは無理だろ」というようなことを書いていると、自分がひどく思想に貧しい人間のように思えてきます。この私でもはじめて、目の下に隈を作りました。朝起きてすぐ顔を洗い、歯を磨いていると、目の下にアザがあるように見えました。どっかにぶつけた覚えはないし、一対に均等についているように見えます。でも、少し寝ぼけているからよく見えない。どんどん鮮明になってくるとわかりました。どうやらそれは「隈」だったようです。最近買った本に、蒸しタオルで目を休めるとか、能動的に目の筋肉を動かすとか読んでいて実践しました。今のところ、幾分、いい具合で落ち着いています。

 

社会人というよりか、会社人である

 

帰り道の電車、あるいは自転車で移動中、会社人は疲れるものなのか、と頭をもたげます。これは、ストレスとか言ったもので言いくるめられず、なんというか、その、気疲れです。結局のところストレスなんですけど、このストレスは私をよく傷つけます。無条件で。さて。傷つけられた人間はそれを癒すことにより「明日も1日頑張ろう!」となれるのでしょうか。人様の体はそんなにも万能であるのでしょうか。当分考え続けるでしょうけど、それがわかる時は、きっと、気づかないでしょうね。・・・テレ東の番組で「タクシー代をお支払いしますので、家着いて言っていいですか」とさまよう人を訪ねる番組があります。仕事もあんまり楽しくない、好きじゃない、稼いだ金を存分に注げるというなら僕は、某アイドルの一員に貢ぎます。という男性がいました。彼は繊細かつ几帳面そうで、部屋のようすはとても綺麗でした。そんな彼は月に2、30万稼ぐというけれども、その内10万円はアイドルのための資金として消えます。消えるのではない、貢ぎます。貢いだ分だけ頑張る。買ったCDなどは使用分と、保存分を除いて残った分を布教用として扱います。身の回りの人にもっともっと知れ渡ってほしいからだそうです。彼曰く、そうやって6年生きてきたしこれからもそうするだろう、といいますが、そのアイドルの引退が一番に怖い。清潔感のあるオタクがとても好印象でした。・・・私にとって貢ぐ対象はなんだろうか、と考えてみました。思い当たるのは本でした。けれど、本はその書店や出版社、出元に貢ぐことになる一方で私自身への投資でもあると思っています。ちなみに会社では、あまり本が好きということは言っていません。聞かれたら答えますが、最低限で留めています。なぜか。その私領域にズカズカと入り込んできて荒らされたくないからです。田畑にあるニンジンやナスやさやいんげんなど、無断で点検されて、持ち去られたりしたくないからです。・・・話を戻しましょう。人は傷ついたら、傷ついた分だけ回復薬を使ってピンピンになれるものなのでしょうか。そこには「予防」という新たなプロセスがいるでしょうけど、私はまだ「予防」のやり方を知りません。・・・「贅沢をしなければ生きていける」が少しわかったような気がしましたが、ただ、そういう人を実際に目の当たりにしてみて思うことがあります。そういう人はどうやってストレスを解消しているんだろう?そもそもストレスなんか概念がないのだろうか?

 

「社会ってそういうもんだよ」とか安易に言ってしまう人が嫌いだ

 

・・・「社会ってそういうもんだよ」とか安易に言ってしまう人が嫌いです。それが実際、年の近い先輩にいて困りました。私は単に、「どんな業務をしているんですか?」「具体的にどんなことをするんですか?」と聞きます。最初は答えるけれど、話はだんだんとそれて、全く当を得ていない、望んでいない回答が渡されます。私は、どれだけきついんですか?とか、やっぱり大変なんですか?と聞いているのではなくて、具体的にどんなことをやっているんですか?と聞いています。いい加減時間が勿体無いと思い「だからそういうことを聞いているのではなくて、」と言って、話を遮ると、非難されました。先輩は歳が上だし、社会人歴も長いかもしれない。けれども、そんな人の話に真っ向から答えられないような、ちっぽけで、またしょうもない大局観を持った気でいる人が心の底から嫌いです。ん、いや、嫌いになりました。・・・村上さんはいたるところで芯の通った思想を話したり書いています。だから彼の本を読むと、あ、これどっかに書いてたやつだ!というデジャビュを頻繁に味わいます。ところで「河合隼雄さんに会いに行く」の中でも触れられていますが「書くことが自己療養」というのが私にとってとてもしっくりきます。私たちはいつも、大変重いものを担いで(時にそれを下ろすこともあるが大抵の場合背負いながら)ずっと山道を登り続けます。似たようなことを大学時代にも考えましたが全く異なります。山登りは、登りがメインであるけれども、下るときもあります。その、下る時に自分がどんな体勢でいるかをきちんと見極められる、あるいは判断できる人間になりたいと思いました。・・・私がここで何かを書く以上、「自己療養」は連続するもの、積み重ねであることは間違いないのだけど、もっと違ったプラットホームを見つけたいですね。今更になりますが、村上さんは優しい。なぜだろう?すっと染み込んでくるんです。静かに涙が出ます。

 

・・・久しぶりに走ったらよく疲れました。カラダの全身が今も火照っていて、キシキシと痛みます。日焼けもしました。去年の夏まで競技をしていましたから、そのときもよく陽に焼けたはずですが、随分と長いあいだ、陽に焼けていなかったような気がしました。冬がとても長かったからでしょうか。春はとっくに過ぎました。