何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

「ピクルス多めで」

  私はヘビーユーザーというほどではないが、マクドナルドを良く使う。私が小さい頃から、親は「マックは美味しくない」し、「行く価値がない」みたいなことをよく口にしていた気がするが、それでもなんだかんだいって私をマクドナルドに連れていってくれた。あのごみごみとした休日の雰囲気が好きだった。確かに子供って多かったのかな。そう思わせる。記憶の中ではそここそが家族団らん的な雰囲気を持っていた。あんな行列に並ぶのもこのぐらいの歳になってやっとわかる。

「あんなん並ぶの絶対イヤ。」

 

 

 

 私にとってケチャップの味覚は、ほぼマクドナルドのハンバーガの思い出とともにある。イタリアンなレストランのピッツアを食べても、たとえそれにいくらチーズにバジルソースがかかっていても、なぜかハンバーガーを思い出す。ピザソースとケチャップは別物だというのにさ。

 

 

 ハンバーガー80円の時代を少しだけ知っている私は、値上げしたからと言っていかなくなったというようなことはなく、現在の100円は妥当なラインだと思っている。肉の事件があってから、マクドナルドは長く業績が悪化していたようだけど、この頃回復したらしい。結構どうでもいい話だけど、マクドナルドがなくなるとまでなったらさすがに話は別だ。

 

 

 私は中学、高校をへて大学では実質一人暮らしをするようになってから、私のライフスタイルはもちろん、世間一般のライフスタイルも大きく変化した。マクドナルドはおそらくその皮切りになったはずだが、安価で(素早く)手に入る「ファスト〇〇」は急速に広まり、私たちの生活に馴染んでいった。100円は高いか、安いか安易に判断できないような時代だと感じる。

 

 

 こんな文章で、パンに挟まれハンバーグに絡められたケチャップが好きなことが伝わるだろうか。私は頭の中ではひとまずケチャップが好きだということを書きたいと思って、書き出した。そして冒頭では「ヘビーユーザーではないが」という回りくどい語り始めをした。しかし実は、ケチャップなんかよりも、私はマクドナルドのピクルスが好きだ。理由などあえて言うひつようがない。ピクルス好きが高じて、それを嫌って残す人に「マクドナルドに来るなよ」と言ったこともある。流石にあれは言いすぎた。

 

 

 あるいは、酒飲みの場でも「ピクルス」という字面を見ただけで注文してしまう。確かめないと気が済まなかった。しかし、酒飲みの場で食べるピクルスは私が求めているようなものではなかった。オリーヴのピクルスはだいたい同じような味がした。私の中では、マクドナルド=ピクルスという構図が成り立っているのだ。

 

 

 そんな私は一昨年くらいにネットで、マクドナルドで使える小ネタに「ピクルスを多めに増やせる小技」の欄を見つけた。ウキウキしてページを開いてみると、注文の際に「ピクルス多めで、と伝えるだけ!」とあった。拍子抜けしたがそれが最も合理的かつ無駄のない方法だと思った。そしてそれをみるなり駆けつけて実践をした。「変な人」と思われても嫌だから初めはビビって「ピクルス多めにできますか?」と女性店員に伝えた。笑顔で「できますよ」と返された。そのスマイルは200円くらいの価値があった。

 

 

 大抵の場合「ピクルス多めで」と頼むとピクルスは2枚になる。だいたいそうだ99パーセントは2枚。けど、1度だけ、ピクルスが4枚になっていたことがあった。そのマクドナルドがどこだったのか、いまいち思い出せなくて今、後頭部がむず痒い。あれは大阪梅田のマクドナルドだったか、東京秋葉原マクドナルドだったか、仙台の寂れていまにも潰れそうなビルにあるマクドナルドだったか思い出せない。

 

    やっぱりこうして振り返ると、なんだかんだ言ってマクドナルドにはたくさんお世話になってる。就活の時、最終面接直前、雨宿りに選んだのも青山のマクドナルドだった。店を出る前、便器に向かって嘔吐した。しっかり綺麗にしてそこを出た。

 

 

 

 3月1日、今日、18卒の就職活動のための情報解禁の火蓋が切られた。

 

 例によって私は今マクドナルドに来てこれを書いているわけだが、昨年の今日は彼女と部屋でのんきに「スタートしたね」と話していた。そんな彼女は4日まで福岡に旅行。芳しくない体調の私は布団にくるまりながら背中を見送る。送り出しは最悪。まあでも、一年前からすると一年後にこうしてやっていることは想像できなかったな。

 

 

 

 多くの就活生に幸あれ。いろんな情報に惑わされ、いろんな情報に喜んでほしい。さまざまな意味でいちいち一喜一憂してほしい。世間では、システムとしての「就活」は良くない風潮のように受け取られがちだが、そんなもんやって見なきゃわからないぐらいに捉えていないと、この先もっと楽しいことを見る機会は一様に失われてしまうだろう。いろいろ問題があるのはどこも一緒だ。人事のひとも同じ人間だと思うと、少しは気が楽になりますよ。

 

世の中を何も知らない若造より