※くだらない記事です。検証ではなく、問題提起ぐらいに受け取ってください。結論を先に述べますと「わからない」ですが、よかったら読んでください。
ある講義で、この学部以外の他学部生とグループワークをする機会がありました。「ああ、典型的な女子大生たちだ…」と思いながら6人1グループの自己紹介を進めていくと、隣に座った女の子が、かの量産型女子大生であり、さらにその量産型女子大生(以下、A子さん)にはなんか見覚えがある。スマホケースも見たことある。思いを巡らせたどり着いたのは、昨年のこの学期に体育開設の授業で、またしても一緒にグループワークをした中の一人でした。
確かめると見事合致。。
(これを思い出した私の脳はすごいが、勇気を振り絞って確かめた自分の気概も褒められるべきだと思う。。)
●「量産型女子大生」とは
・無個性
・集合体
・チャパツでユルフワ
・格好が似ている
これ自体、どうでもいい話題なのでやる気が出ないんだけども、とりあえず「量産型女子大生」の概観を並べました。
なんでこんな言われ方してるのか…。
うーーん。
ぼんやりと浮かぶ量産型女子大生の輪郭は、だいたい人によって異なるけども、だいたい一致していることが多いようです。
なぜ話題にあがっては「量産型女子大生」に対する違和感や嫌悪感が生じるのでしょう。
なぜ、そのような負の感情を抱くのでしょう?ちょっと、気になりました。
※ちなみにA子さんは悪いことなんかしていません。グループワークの最中、ずっとスマートホンを眺め、指を縦横無尽にスライドさせているだけで、別に悪いことなんかしていません。
●量産型女子大生は、私たちに何も危害を加えない
世の中には、関与しないもの、こと、ひとを叩いたり、無駄なエネルギー消費をしようとも「粗」を探すことにいそしむひとが沢山います。ネットなど大きなメディアが発達してより加速したと思うし、そのような人を私は沢山見てきました。
何もしなければ、見なければ、考えようとしなければ、ただ無縁でありつづけるもの、こと、ひとなのに、彼らはどうにも無縁ではいられないようです。
そう。そもそも量産型女子大生は、私たちに何も危害を加えません。
そこで少しだけ考えた。
その「無縁さ」が「距離の遠さ」を呼び、自身には何もメッセージを発さないことによって「無関心さ」を生み出している。したがって、そのメッセージを発さないことによる「無関心さ」という無メッセージが、何も関係ないのだけどまったくをもって興味をもたれない「一抹の寂しさ」として噴出し、何かふとしたことをきっかけにそれが「叩き」に変化するのかな。
(そもそも確信はないし、主張したいことでもないので、ただ流してほしいのですけど。。。)
フラッシュ・バック現象
ついでなので、ここでひとつ挙げてお来ます。
ちょうどその講義で扱われた"フラッシュ・バック現象"という心理学領域に応用される概念によると「現在や未来のある情報は、過去あった類似的な嫌な記憶や情報を引き付け、また参照し、現在以降の先入観を作り出してしまう」んだそうです。
例えば、近々旅行に行きたいと考えて計画を練ろうとするが、過去にあった旅行の嫌な思い出をひっぱりだして参照し、近い未来に起こるであろう出来事の輪郭を思い込み、決めつけてしまうことなど。嫌な思い出に縛られる、簡単にいうと大小問わずトラウマみたいなものですね。
確かにそういう状態だと、その失敗(といえるか不明瞭であるが)を教訓として認識することができません。ぐるぐると負のスパイラルに落ちていってしまいそうです。
話を戻します。
一見して無縁であり続けるような、また詮索に意味をなさない嫌悪感や違和感の形成には、もしかするとこういった”フラッシュ・バック現象”が関与しているのかもしれません。またそれがどの段階で形成されたかが重要だけど…
(量産型女子大生に)無視された
元カノがそうだった
気に食わない知人に似たようなのがいた
飲み屋で騒いでた
電車で化粧してた
だとか、きっと、そんなところでしょう。全く根拠ありません。ただの絵空事です。もう閉めます
結論
「量産型女子大生はなぜ嫌悪されるのかを考えた」だけで終わった 件
追記
変な記事に昇華しそうなので、ただ後悔した 件