「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

疲れたら運転交代したいの

担当教授に卒論の指導を受けてきた。マンツーマンだったので、持って行ったペーパーを丹念に読み込んでもらった。丹念と言っても教授はたいそう疲れていて、私の説明に寝そうになった。そんなにつまらないか(笑) 数字を挟み込んだカッコのあとに「,(カンマ)」を付けてしまう癖があって、それを指摘された。やがて内容に関して突っ込みをいただいた。私ははじめ、「元男子校における「女子」応援団に関する研究」としてやっていこうと意気込んでいたのだけど、その対象への調査がかなわなかったので、タイトルや研究の動機および目的を改編せざるを得なくなった。残念だけど、おおかた予測はついていたので結果オーライと思いたい。今のところは。

しかしまあ、卒論についていつも考えているといっても、まだまだ分からないことだらけで、的確な教授の質問に濁ったものしか返せない。その自分を客観視してみると、この一年間何をやってきたのか、と不安になってしまう。私は、わりと早い段階から準備してきたつもりだったが、それでもできなかったことや、やれなかった(やらなかった)ことが多く、こんなことを調査・研究としてまとめて、報告していいものかと後ろめたさに似た感情さえ抱く。しかし、くよくよしていても何もいいことはないというモットーを信仰し、絶えず書き直ししていく所存である。卒論のまとめには、研究における反省や次回への意気込みのようなものをたんまりと書けそうだ。

まずは、構成から見直して、整ったところから言葉を肉付けし、文章をボリュームアップを図る。ここで書いているうちに元気になってきたのでやはりブログはすごいと思う。ありがとう。

 

この頃、相方の持っている車を運転するようになった。あれはいつだったか、まだ私が免許を持っていない頃に、遠出した日のこと。相方はハンドルを握りながら「私が最初に運転してね、疲れたら運転交代したいの。そうやってドライブしたいの。」と口にした。その日の、輝く陽の光にあたる横顔は忘れられないし、またそう言いつつ、咲き誇る季節の花と写る彼女の顔はとてもよく映えた。

しばらくして、私が免許合宿に行くことになって事件は起きた(起こした)のだが、それを経過しての今があってうれしい。本当に申し訳ないことをした。もう二度としないと決めた。申し訳ない感情とうれしい感情と、今でも私のこの身体の中で渦巻いている。しかし、やがてメッセージが届いたら車に乗り、笑顔で迎えに行きたい。同じく卒論で疲れてる中、アルバイトお疲れ様と言いたい。果たして相方は楽になっているのだろうか。少しは、楽になっていると思いたい。

 

車に乗るとラジオを聴くようになる。ラジオには大きな文脈と多くの流行が混在していて、耳で聴いているはずなのに、時季や時代、さまざまな世界観を見せられてしまう。それに思わずほほえむ。また、運転中、その運転に真剣になるのだが、ラジオで聴き取った内容は妙に頭に残って離れない。あれこれ、後で調べてみようという気になる。ランダムで、それも無作為に与えられる情報はつねに魅力的だ。

今日は二つ本を買ったのに、もう一冊ほしくなってしまった。やれやれ。