「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

米沢のABCは

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米沢の地に降り立った。

白を基調とした一昔前の近代化になぞらえたような外見が特徴的だ。実はこうやって東京上野から新幹線に乗って生まれ故郷にやってくるのは初めてのことだった。二週間分の荷物はあまりにも多くて、自由席はほどほどに空いていたので申し訳なさげに二席分確保した。1Q84を携え、優雅に。二十時にノーベル文学賞が決まるとのことですこしワクワクしていたのだ。結果として彼の受賞はかなわなかった。ここ数年ずっと取り上げられているが当の本人は気にしているのだろうか。自伝的エッセイを読むところ、彼は賞という賞を気にかけないようにしているのが見受けられる。常に外野の「メディアが騒ぐ」といった典型例のようだ。

宇都宮に着くとこぞって列車の中に乗客がやってきた。まずいなと思いながら手元の荷物を整理する。結局、頭部のすべてがきれいな白色に染まった七十歳代と見てとれる健康そうな老人がわたしの隣にやってきた。わたしは窓側へとずれ、残り二駅となった新幹線小旅行を堪能しようとした。

「降りるのはどちらですか?わたしは米沢ですが」

「ええ、わたしも米沢で降ります」

そんな会話とも呼べない一言を交わした。手収まる文庫本の作品名を知ることはできなかった。その老人はまったく動くことなく、本に視線を注いでいた。前シート裏の掛ける部分に、口が開きかけた木通(アケビ)の詰まったビニル袋が下げられていた。

降りてひとまずあったかいレモンティを買い、急いでそれを体内に流し込むと今までに感じたことのない「あったかみ」を覚えた。むしろそれは痛くすら感じた。空気がまったく違う。アプリで気候を調べると気温十度を示した。立ち寄ったコンビニでお茶を買い、カバンにしまい込む。唐突になつかしみを覚えたのは、こっちの中高生のハンドルは高く施術されていること。これをわたしの地元では鬼のツノのようなハンドルという意味で「オニハン」と呼んでいた。東京へのつまらない修学旅行でたまたま居合わせた大阪の中学生に聞くと彼らは「カマハン」と呼んだ。カマキリの腕のような形をしているからだと当時の僕らは推測した。どちらにせよ、あの年頃の男子はバイクに憧れているのだった。*1そこで抱くなつかしみと同時に驚いたのは言うまでもない。帰りがけの女子生徒のまたがる自転車もそのような状態になっていたのだから。どういったイキサツでそのような状態に施すのか想像してみた。お兄ちゃんのお下がりを嫌々使っているのなら話は別だがすれ違うまたは追い越していくほとんどの女子のハンドルがそうであったからそうではないのだろう。そんなどうでもいいことを考えながら二十分は歩いた。

見覚えのある商店街や交差点、見覚えのないたてものやコンビニエンスストア。うまれ故郷であってもきちんと育った場所ではないので、ことこまかく描写できるほど記憶していないが、よく小さいころに、主に祖父に母に連れまわされた街角の風景がどんどんと廃れているのはわたしをとても寂しい感情にさせた。町の秋があっという間に過ぎろうとして冬への支度をしている最中なら尚更のことだった。町のあちこちでうまそうな肉のにおいが鼻を掠めた。米沢と聞けばみな「米沢牛」を連想する。いまだに町全体で推しているのもそれだけ愛着なり、誇りなりがあるからだ。

米沢市におけるABCがある。

AはApple。BはBeef。CはCarpだ。

Carpというのは池を泳ぐ鯉を意味する。米沢では歴史的に鯉を旨煮にして食べるのである。

吐く息が白むのはもう秋ではないことを意味する。私はこの二週間で何を得て何を持って帰れるのか。単に「卒業」だけではなく、この時期だからこそ、重要な何かを持って帰らなければならないと思う。

*1:わたしには分からなかったが