「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

卒業論文の愚痴

 どうやら身が入りません。何か書くことについて思うことがいくつかあって、これまでもここで再三触れてきました。余裕があったらそのリンクしますので読んでいただければと思います。

  「 ブログは一日に一回」という固定的な観念は、やはり日記に近しいものだからなんでしょうか。わたしは夏休みの日記という宿題さえ疎かにこなす人で、終盤に差し掛かってやっとひぃひぃ言いながら鉛筆を走らせていた思い出があります。なので短絡的ですが日記はあまり好きではありません。とはいえ、なぜこのような類似した存在のブログを一定的に継続し続ける行為に飽きないかというと、それはやはり「縛られない」というフリー・スタイルなシステムに魅かれているからだと思います。誰からなんと言われようとも所詮画面の中のちいさな文字ですので、電源を落とせば見なくて済みます。

 <ところでSNSに関して、わたしは今のところ二つほど恣意的に使っています。「見たくないものはほぼ自己責任において、操作すればみないようにできる」というのが昨今の潮流ですが、わたしは見たくないものこそ、あえて目をそらさないようにしている節があることに最近気づきました。どうしてそうしているかという意図的な部分は後付けです。「人は目にしてから●●秒以内で△△と判断する!」みたいな恋愛につかえる心理学とかその手の類の話ではありません。なんでだろう、とは思うんですが自分でもそれは単なる「やせ我慢じゃないか」「意地っ張りなんじゃないか」と結局落とし込んでやります。「意地っ張り」ではないと思うんですがね。でもなんでもかんでも、ただ好きじゃないことを排除するっていうのはやりたくないことなんですよねえ。お惚気とかエログロナンセンスなこととかって、もちろんケース・バイ・ケースですが、それらを包括してこそSNSのS、ソーシャル(社会的な)ものだと思うんです。お惚気なことを例にとってみれば、あんな幸せを振りまくような行為が理解できない、と嘆く人がいますが、行為する人が自分の信条に則ってやってる以上個人の自由は担保されるんじゃないかと思います。それと、いまはネットフェミニズムの思想も強まっていてすぐに炎上とか起こります。ただただ、これはまずいだろとかありえない!と言うんじゃなくて、なんでそうなるのか?みたいにそうなったプロセスについて思考する材料にすればいいのではないかとも。火に油を注ぐ行為よりも、原因は何にあったのかとか考察の対象にしましょうよと思います。少なからず断片的でも社会の一部を考えるきっかけにはなります。>

 大分またうねりましたが話は村上春樹の「職業としての小説家」について移ります。小説家として生きる村上さんの言葉は直球で、まだ全て読みきっていませんが一貫した考えの下に彼の作品は生み出されているんだということが伺えます。奥様の徹底的な査読による御尽力もまた然り、です。書くことを仕事にしている以上どんなモチベーションで、どんな生活スタイルで、どんな風に悩まれているのかがずっと気になっていました。    

   端的に言えないかもしれませんが、80年代後半には帰りの橋を焼き払うような気持ちで日本を立ったそうです。長編小説を書くときは机の上をまっさらにし「書く以外何もできない」状態にします。そしてあらゆる他の書き仕事を放り出します。一方でそれ以外の書き仕事は「片方やりながら」の同時並行でことを進めていく。翻訳作業をベースにして、ぼちぼちエッセイも書きながら小説を書く、そんな感じだそうです。

 

 村上さんは高圧的なイメージがありました。わたしは中・高・大と、何による先入観かはたまた偏見かわかりませんが、世間がそれほどまでに騒ぐ理由が見当たらなかったのです。はじめて「ノルウェイの森」を読んだときもそうでした。達観しているような、全てを見透かしていてもう私には知識など要らない、手にあるもので全てをまかなう、みたいな身勝手な妄想を抱いた。やがてそれが澱となってバイアスとなって「村上さんのイメージ」を作りあげました。しかしながらもしかすると、ーまだ確証を持ったことは言えませんがー 村上さんは優しいのかもしれません。多くの女性には多少好まれなくとも、優しいのかもしれません。それが「職業としての小説家」を読むとわかります。あれは、小説家としての村上春樹を提示・表明するだけでなく、戦後生まれの表現者ないしは翻訳家にも努める知識人の姿が読み取れる作品です。

 

 

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 丁寧語と非・丁寧語の違いが身にしみて感じるこの頃です。論文ばっかりと睨めっこしていると、どうやら自分が偉そうな人間になった気分になります。わたしのブログも正直言ってうざいですが、少しでも誰かに読んでいただければとおもって、マイナーチェンジにならないように、ゆるくがんばります。

<これが「信条」か>