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タイトルを定められない

 

「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」 (クロード・レヴィ=ストロース 1908‐2009)*1

 クロード・レヴィ=ストロースの主著『悲しき南回帰線』はこの言葉で締めくくられている。訳者の尽力に支えられてわたしたちは世界的大著なるものを享受できている。その貢献度は高い、とつくづく思わされる。

 フィールドワーカーとしても名を馳せたレヴィ=ストロース存在を知ったのは2年の秋冬だった。国際系の学部にいる友人に触発されたこともあり、秋講義で他学群の授業をうけようと思い『文化・開発論』を履修した。

 すっかり葉は赤く染まり外のかぜは冷えるのに、いつも教室に向かう私のからだは冷汗がとまらなかった。思い出すとあの教授の独特の声が今でもよみがえる。

 

 レヴィ=ストロースを仰ぎ見る様子を、彼の編著まえがきの記述にうかがえる。

 編者は人類学における通過儀礼としてのフィールドワークを、オーストラリア北東部のトレス海峡で一年間行い、、、(中略)、、、留学先のシドニーを経由して日本に戻り、まずしたかったことは、フィールドにおける世界と自らのあり方を自省的に描く文章をものすることだった。、、、いわばクロード・レヴィ=ストロースの『悲しき南回帰線』/『悲しき熱帯』(1977/1985)のマイ・ヴァージョンを書くことであった。それは作品として描くという以前の、フィールドという認識の世界における自らの実存の証し、存在としての声を示したいというようなものであった。、、、種々の事情でそのままになって今日に至っている。が、フィールドという環境における自らの心のうちを露わにすることで、主観的なものであるにもかかわらず、制度的に 認知されている民族誌より、フィールドの世界の真実、フィールドをとりまく環境、世界におけるフィールドの位置づけをよく描けるのではないかと感じていたのだ。

前川啓治 編『カルチュラル・インターフェイスの人類学 「読み換え」から「書き換え」の実践へ』(2014)新曜社

 

 約250ページある彼の編著を「というように、」とわたしが要約することは容易なことではないが、この講義を境に哲学とはいつでも隣りあわせな気分になった。ここには、彼が思い馳せる人物と似たような行為(フィールドワーク)を経て、さまざまな彼なりのイズムが構築されていったと見て取れる。

 「種々の事情」によりその「存在としての声」は目次作成だけで終わってしまったが、筑波嶺のフィールドワークの経験から「観光による地域づくり」や「開発人類学」において活躍し、現在も本大学の人文社会系教授として歩いている。

 

 

 ひとつの講義を通じ関与しただけでこんなことを書くのは本当に恐縮だが、本気で単位を取りに挑んだ講義であるのと、それが今現在、人文社会系に関心を抱くに至ったひとつの強い影響を受けた体験として、一度は書き起こしてみたかった。

 別の、パプアニューギニアにおける「黒人が白人になってゆく」過程を著したページにもぜひ触れたいのだけど、それはまたすこし時間を置きたい。

 ただレヴィ=ストロースのことばを紹介したかっただけなのに勢いあまって恥ずかしいことをしてしまった。

 

 

もうひとつ

 

 

「握手するとき、私は触れると同時に触れられている。」 (モーリス・メルロ=ポンティ 1908-1961) 

主著:『行動の構造(1938)』、『知覚の現象学(1942)』

 

 この方は、フランスのロシュフォールに生を受けた哲学者で、高等師範学校時代にサルトルボーヴォワールレヴィ=ストロースとの交流を持った。『現代』の編集をサルトルとともに担当し実存主義を牽引したが、のちにマルクス主義をめぐって決裂。哲学的には、現象学言語学で知られるフッサールの強い影響の下、「身体」をテーマとした現象学を構想した。上の言葉は、身体を単なる「物」でも「意識」でもない両義的な存在として捉えている。

 

 

 

 

 一番身近に肌で感じられる存在なのに、なぜか敬遠されてしまう「哲学」。その歴史は本当に古く、それを専攻している人はカタブツなイメージが定着していてとっつきにくく扱われているように感じる。だが、稲盛和夫の経営イズムや本田圭佑の哲学というと、聞こえ的にはピンとくるのが少なくないんだと思う。

 つまり、歴史的文脈をもった個人的な感情がある形で体系化できたとき「○○の哲学」というように形容できる。そこには、経験的に培われた思想やヴァナキュラーな*2宗教観が入り混じった形で姿を現す。

 

 「哲学」に対するわたしなりの解釈は、哲学というのは一つの学問として成り立っている半面*3で、機能としては諸学問の奥底に基盤となって横断的に横たわっている。すなわち、哲学は親学問として存在するが、社会哲学や体育・スポーツ哲学のように複合的な学問として近・現代では強く機能している。

 当たり前だけど、哲学以外のどんな学問にもなくてはならない存在だと思っている。

 

 

 

   *    *    * 

 

 

 

 理解できなくとも触れるだけでふしぎな世界観が拡がる。

それは単にわたしたちが知らないだけ。その尾の端をつかんでいるものの、すぐに影となって闇にかえる。ずっと追いかけっこをしているような感覚。

ことばを受け取ると、遠い記憶の中で感覚とリンクする。あの体験…

 

  いまわたしは、キッチンでこれを書いている。影響は、昨年の初夏に読んだよしもとばなな著作にある。そして勢いあまってブログ名も変更した。

 

引用文献

 

哲学用語図鑑

哲学用語図鑑

 

 

*1:没101歳!!!

*2:地域固有

*3:孤高の存在