何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

村上さん

 
村上さんが、フクシマに行ったらしい。
 
誰だ誰だと思い、そのネットニュースを開いてみると、村上さんとは、かの有名な村上春樹さんだった。ニュースのタイトルにて、「村上さん」と表記されていることに僕は少し笑ってしまった。
 
 
 
 
 村上さんの書いている本のうち、僕はまだ、海辺のカフカ 上とノルウェイの森 上・下巻と風の歌を聴けの四つしか読んでいないが、いまの所これらにとても強く好感を抱いている。物語構成が特徴的で…と言ったらいったで、うまく説明出来ないが、とにかくそのストーリーが好き。先が全く読めない。しかし、先に進んだからと言って「答え」と思ぼしきことも見つけられないことが多い。でもこれは単に僕の読解力がないだけかもしれない。
 
 それと、登場人物がいつ命を落とすかもわからない、と言うか、いつの間にか死んでいる、ということが多々ある。展開がはやいようなおそいような、ある意味でついていくことが出来ない。中でも、特に影響を受けたのが、ノルウェイの森。これを僕は、去った秋、九月に読み終えた。この「秋」というのが僕の中では重要。
 
 いま僕は、作品中のネタバレや解説をするつもりはなく、紹介したいことが思い浮かんでしまったので、こうして書き起こしてる。
「僕」と表記されるのは主人公のワタナベトオル。ワタナベ君が思いを寄せていく人物に、直子と緑がいて、その直子にはキズキという恋人がいた。緑にも、名前としては出てこないが、恋人がいる設定でストーリーが進む。ノルウェイの森は、よく恋愛小説として捉えられる。それも間違ってはいないとはおもうのだけど、僕が思うにはこれは単なる恋愛小説ではない。本質はもっと奥深いところにあって、その途中途中に「恋愛」が手段として用いられて進んでく。おおよそ、この三人を中心にして物語は進んでいくが、他にもたくさんの登場人物が姿を現しては消え、現しては消えていく。
 
 本には折り目をつけたり、傍線を引いたりして、特徴的で印象に残ったものはこまかく印をつけるようにしている。中でも特に、その印を付けられる対象に当たるのは、村上さんのその「描写の表現方法」にある。
緑がワタナベ君を家に誘い、ご飯をご馳走するというところ。ワタナベ君は都電を乗り、大塚 にあるその家に向かう。その途中の街並みをこう表した。
 
…そしていちばんうしろの席に座り、窓のすぐ外を通り過ぎていく古い町並みを眺めていた…中略 電車はそんな親密な裏町を縫うようにするすると走っていった。…あまり見映えのしない大通りを彼女が地図に描いてくれた通りに歩いた。…どの店も建物は旧く、中は暗そうだった。看板の字が消えかけているものもあった。建物の旧さやスタイルから見て、このあたりが戦争で爆撃を受けなかったらしいことがわかった。…
 
なんとなくだけど、思いついたところではここが好きだ。時は1969、大学ではストライキが盛んになっていたろう頃で、作中にも、ちらほらそのような場面が出てくる。結構好きだ。いきなり思いついたので、あまり長く書けないけど、随時思いついたらまた書き残そうとおもう。二十歳の夏・秋、僕はノルウェイの森を読み、何をどう思ったのか。3ヶ月たちすでに忘れてしまっている部分が多くある。それは寂しいし悲しい、これだけはどうしてか、大事にしたい。