「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

あめ

 

 

今日は、大雨洪水警報に起こされた。とても嫌らしい「おはようさん」だった。警報の音はどこか特徴的で胸が騒がしくなる。言うまでもなく4年前のあの震災があってのことなんだろう。

 

 

ざわつく風と屋根やら地面やらを打ち付ける雨とが僕を襲った。昨晩の帰り路はものすごい土砂降りに見舞われて散々な思いをした。土砂降りの中で叫んだ、どこにも跳ね返らない声は、ただ疲労を増幅させるだけだった。家に着くと、自分がぐったりしていることに気が付く。発熱だけは避けたいと、熱いシャワーを浴びてすぐに寝るようにした。なかなか寝付けなかったけれど、寝るのは一瞬だった。

 

 

 

雨が続くと気分が落ち込む。厚い雲が僕らを覆っていて太陽とご対面できない。空が何色だったかさえも忘れかけていた。人間は日に当たらないといけない、といういわれがよくわかる。ラジオで「今の季節は何ですかねぇ。あきなつ(秋夏)とでも言いましょうか~」と少し真面目に言ってたので、今の季節は「あきなつ」なんだろう。正直少し笑ってしまった。天気予報ばかり気にして梅雨みたいだ。暑いときは最高気温だけを気にすればよい。

 

 

 

自分がその一日部屋にいてもよい、や、今日は部屋からでなくもよい、という日の雨は大歓迎。そういう日の雨はとても好きだ。「晴耕雨読」に則り(かまけて)、悠々と本を読む。やっぱりそれ以外は勘弁と思う。けど僕らは自然には逆らえないので、それ以上どう言おうとも何ともならない。

 

 

夕暮れの刻、十八時に差し掛かるとき、空全体を雲が覆う中で、晴れ間がちらりと顔をのぞかせた。嬉しくなってつい写真を撮ってしまった。僕は、世界の終わりから微かな希望が見えた、みたいな心境になった。でもどうしてかそわそわしていて、その微かな望みを大事にするように、静かに正しく生きようと意識した。土製の駐車場にできた大きな水たまりができていた。中で揺られる青々とした雑草が、これは恵みの雨だと喜ぶかのように生き生きとしていた。人間だけが雨に憂いているのだろう。

 



 

話変わって、図書館について。

市立図書館にはさまざまな人が行き交う。

 

大好きな小説、有川浩阪急電車の一節にこんなシーンがある。

 

 

宝塚中央図書館に足繁く通う二人の男女のおはなし。征志は、電車で隣に座った女性にとても見覚えがあった。それはただ単にキレイだったからではない。ある日の図書館でのこと。それはほんの一瞬で、目前にした話題の新刊を彼女に掻っ攫われてしまっただった。しかし皮肉にも彼女に悪意などなく、更に征志にとっての好みの女性であった。そうして心は見事に折れた、男とは非常に単純な生き物である。中途半端な因縁を持ちつづけていた征志は、電車で再び彼女に巡り合うチャンスを得る。おんなじ図書館に通うというだけで、その他何の共通点もない互いに見知らぬ男女に一つの物語が生まれる。この著書のはじまりにはもってこいなストーリーだと思う。

 

 

こんなシーンに憧れて僕も市立図書館に足を運ぶようになった。というものの、そんな絵空事のようなことが訪れる気配は全くない。あたりまえだ。うん、冗談はさておいて、図書館はとてもよいところだ、ということを是が非でも紹介させてほしい。

 

では次回から