何を書くか、何を書かないか。

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あたたかい握力を感じた

 山形へ行ってきました。

「さいきん具合いぐねんだ。ご飯もあんまり食べらんねくて、ちょっと気が滅入ってる感じで」。この頃じいちゃん(父方)の具合がよくないようだ。本来であればこの暑い時期ではなく8月末に順調に子供がうまれ 、すこし涼しくなった時期に行きたかったのだけど。

 米沢のじい(私の生まれ故郷、母方)が3年前に亡くなってから、ひとは齢八十を超えてから「チョット先で大丈夫」なんてことは本当にないんだと、経験的におもった。その米沢のじいが亡くなる2ヶ月くらい前、コロナ感染拡大はひどかったけど強行して行こうと思案した。でも、もう少し大丈夫。もう少しおちついたら、と言い聞かせて米沢に帰ることをやめたのだった。そしてその時期にしては暖かい12月の昼下がり、叔父が遅めの昼ごはんの買い出しに出たとき、じいは寝床に戻りひとりで息を静かに引き取った。

 話を戻す。結果として山形のじいは思ってたよりも状態はよかった。背もたれがないと座っていられないことはあるが、しっかり話の受け答えもできるし、僕の帰り際握手して、とてもあたたかい握力を感じることもできた。言葉でいろいろ聞くよりも、それだけで「生きている」感じを確認することができた。向こうもこっちの状態を見れて安心して・・・になってはほしくないんだけど、ばあも父も言うからたぶん大丈夫らしい。しっかりひ孫の顔を見てもらわないと困る。頼みました。

 じい達に気を遣わせるので家に泊まらず駅横のホテルをとった。1泊2日は短すぎるかなとおもっていたけど、お金の面と妻の身体を考えると十分すぎた。彼女ももう本当に腹が大きくなり、ラストこの1ヶ月でまたさらにもっとおっきくなるらしい。人体はまじで不思議である。

 父に車を借りて、時間が許す限り、ゆけるだけの場所に車を走らせた。ドライブに合う曲が好きと言うよりも、運転しながら音楽を聴くという行為自体が好きなんだ。こういう人が車を買わないのはなんでかなとおもった。

 乗せられていた側から自由に運転する側に。小さい頃から見慣れた景色もちがって見えた気がした。

 

暑い東京を脱出したとおもったのに、土曜日はそんなに暑くなかっただと

 

ようこそ!ふくしまへ これを見る度に心和む

山形駅から東の方面、21階より

 

車窓から撮ったどこかの河