「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

「アオイちゃん」と高3の夏

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 高校三年の夏、ちょっとだけ奇妙な体験をした。怖いといえば怖いけど、いま思えばふしぎと嫌な思い出として記憶していない。

   

 

    それは全国高校総体(通称:インターハイ)を1ヶ月後に控えていた時期のことだったと思う。当時僕は、ここではない別の場所でブログを書いていて、それはいまと違って結構身内でやっていた。書く内容も平凡で(いまが非凡であるわけではないけれど)日々のトレーニング内容とか休日に遊びに行ったこととか、いわゆるブログらしいブログを作っていた。

 

 

 ある時、珍しくコメントがついて、意気揚々と開いてみた。「アオイ」という書き主は、言葉の使い方からしても女の子だったように思う。僕は身の回りにいる「アオイ」ちゃんを思い浮かべてみた。

 

 「アオイ」ちゃんは二人いて一人とは一切話したことがなかった。もう一人は中学三年生の頃僕の学校に転校してきて、一週間で告白をされた。返事を保留にしているうちに「アオイ」ちゃんは別のかっこいい(僕なんかと比べようもないくらいかっこいい)男子と付き合っていた。気づいた頃には別れていて「アオイ」ちゃんはまた別の男子と付き合っていた。そんな「アオイ」ちゃんを僕は嫌いではなかったが、好きにもなれなかった。

 

 僕の知っている「アオイ」ちゃんならメールか何かしてくるだろうと思った。いい意味でも悪い意味でも彼女は単純で、こんな遠回りなことはしない。一方、コメント主のアオイちゃんはコメントで「初めまして」から「今日の練習は大変でしたか」まで綴っていた。とても具体的だった。僕は丁寧に返事をした。でも「僕のことを知っているんですか」とまでは訊けなかった。

 

 

 次のコメントでアオイちゃんは「初めまして」から「私は今どこにいるでしょう?」とちょっと不思議な問題を出してきた。その答えはスクロールした先にあった。「駅ですよ♪」

 

駅ですよ♪」???

 

 

 

 携帯からやってるのかな、と思った。でもそんなことわざわざ問題に出すだろうか。そもそも問題を出してくること自体、意味がわからなかったが、僕は特に気にもせず、むしろちょっと興味を惹かれた。でも「どこの駅ですか?」なんて訊けるはずもなく「駅からわざわざありがとうございます」という、いま思えばなんだか笑ってしまうような返事をした気がする。 

 

 

 次のコメントでもアオイちゃんは「初めまして」からはじめ「いつもトレーニングお疲れ様です♪」と言った。そこでは「練習」から「トレーニング」に変わった。音符♪はつきものだった。そして三度目の「初めまして」・・・。ただそれだけだった。

 

 

 

 それからまた1週間後、アオイちゃんは具体的な駅名を出してきた。

 

「初めまして、アオイです。あたし、〇〇駅のコミュニティセンターから書いているんです。〇〇駅知ってますか。もちろん知っていますよね♪だっていつも使っているものね。いつもあなたの姿みています。さて問題です。どこからでしょう。わかったら改札を通る時、手をあげてね。雨が降ってたらあげなくてもいいわよ。って、こんなこと書いてる場合じゃないの。コミュニティセンターは60分しか使えないの。そのうち40分は読書に当てて、といっても大体はあなたのことを考えているわけ。そして残りが19分と20秒になった時、パソコンを起動してインターネットを開くの。そう、IE。あなたのブログを見つけて15分でこのコメントを書いてるわ。だいたいねこの繰り返し。あーあ今日は更新されてない♪でも明日なら♪そうやってここ来て、最近は過ごしているの。あっ、もう終了の時間。ここのおじちゃん達うるさいから帰るね。だって60分以降はお金が要るの。知ってた?もちろん知ってるわよね。またね♪」

 

こんな内容だったと思う。

 

 

 確かに駅名は家の最寄り駅だった。でも僕は駅を日常的に使わず、学校には自転車で行っていた。40分山登り付きの登下校。電車を使った方が時間がかかるし、人にもよく会う。僕は社交的だとよく言われたけど、学校がはじまる前に人とは会いたくなかった(特に先輩なんかは!)。ザーザー降りでもなければ、電車で登下校なんてしなかった。

 

 

 アオイちゃんは僕に近づいていた。なんとなく近づいていた気がした。僕が一体どこで悪いことをしただろう。もしかして、あの時返事を曖昧にしたからだろうか。そんなことを少しは思わないでもなかったけど、ハードなトレーニングに集中すればアオイちゃんやコメントのことを忘れていた。

 

 

 大会が近くなった頃、久しぶりに更新しようとブログを開いた。6件くらいポップが溜まっていた。大体こういうのは誰かが「ブログを更新しました」とか結構どうでもいい内容だったので、あまり気にしなかった。いつも通り内容を作り、投稿した。投稿後、ついでに見ておくか程度にポップを開いてみるとそこにはアオイちゃんからのコメントが6つあった。全部きれいにアオイちゃんからであり、その全てにはいつものように「初めまして」から書き出されていた。

 

 

「初めまして。」

 

・「最近更新しないね」

・「雨が降っていたら手をあげなくたっていいわよ」

・「手をあげてって言ったじゃない。もしかしてコミュニティセンターを知らない?」

・「今日は暑かったね。熱中症になってない?」

・「もう大会だね。調子はどう?」

・「大会頑張ってね。新聞は買って、ちゃんと読んでおくわ♪」

 

 

 僕は彼女のことを、新種の嫌がらせか、ただのもの好きくらいにしか思っていなかった。迷惑っていうより変な話、勇気付けられているような気がした。特に具体的に被害を被っていたわけではなかったからだ。最後のコメントに僕は「コミュニティセンターからじゃなくて、もっと別なところからコメントはできないのかい?」と返事をした。しかしそのコメントに返事されることはなかった。

 

 

 僕は本番で力を出し切れず、同じ県から一緒に決勝まで進んだライバルに負けた。そいつが5位で僕が6位。県とその上の地方大会では勝ったが、最後のさいご、大事なところで負けた。地方紙で彼は手のひら大で取り上げられ、僕は親指二個ぶんくらいで取り上げられた。でも僕は自分が中学時代の走力では信じられないような舞台に立って、懸命に闘ったのだった。それだけで誇らしいことじゃないか、と思った。

 

 

 これについてはずいぶん後になってわかることだけれども、ただ「自分に同情している」だけだった。『ノルウェイの森』で永沢さんはワタナベに対して「自分に同情だけはするな。自分に同情するのは弱い人間のすることだ」のようなことを言っている。僕はこの歳になって痛感するのだけれども「自分に同情する」というのは勝負の世界に立とうとしているものにとって何よりしてはいけないことだった。

 

 

 僕は大会が終わってから、大会の報告のようなものをブログにアップした。空っぽな内容だったように記憶している。別に誰に宛てたわけでもない、ただの自己満足だった。身内はそれを見ていいねのようなものをし、陸上競技のつながりの見知らぬ人は時々あたたかいコメントしてくれた。

 

 1週間経ってもアオイちゃんはやってこなかった。そのうち僕は、アオイちゃんのことをほとんど忘れていた。とうとう僕は、アオイちゃんのちゃんとした姿を見ることもないままそのブログを閉じた。

 

 

***

 

 

 

 そういえば僕の知る「アオイ」ちゃんは制服を汚く着るくせがあった。靴下はだらしなくて、スカートは嫌に短かった。でも上目遣いがうまかった。そんな「アオイ」ちゃんは、また気が付いた頃には結婚していた。今でもうまく続いているのだろうか。

 

 

 

 

◆あとがき、っぽいもの(追記)

 

 僕はこのフィールドでいろんな人と出会った。その一部が「アオイ」ちゃんだったし、今でもたまに「アオイ」ちゃんがふとやってくるんじゃないか、と思っている。ごくたまにアオイちゃんを意識して書いてみたりするし、アオイちゃんが読んでいることを想像しながらキーを打っていることもある(それがたまたま今日だった)。こんな風にブログをやっているとたまにふしぎな体験をするのだ。あの「アオイ」ちゃんは、たとえば僕がよく知る友達が扮してやっていたとしても、別にそれは僕にとってどうでもよいことだ。ここで大事なのは相手の姿が「きちんと」見えないこと。「相手に姿が見えない」からこそ言えることがある、と僕は思っている。

 

    でもやっぱり、相手に姿が見えないことをいいことに、目の前では言えないようなことをズバズバいう人、書く人が多くいるというのも事実で、残念なかぎりだけどそれはこの先も減らないだろう(きっと増えていくだろう)。だからこそ僕は、ことネットの社会においては、相手を目の前にして言えない悪口は言うべきではない、と思う。

 

 ネットにおいて、個人情報をだだ漏れにして発信活動するのは危ないし、決して褒められた事じゃない。もちろん人に勧められることでもない。そこには少なからぬリテラシーが要る。でもそのリテラシーを一つずつ指折り数えながら挙げられるかと言えばそれはノーだ。場面場面に必要な対処が要る。

   

   偉そうにできないが、経験上ひとつだけ確かなことが言える。ネット社会で求められる行いというのは、リアルな世界でのふるまいが色濃く反映され、それは生身の人間さえまともに相手できないものには想像できないことだろうと思う。面と向かう相手が例えば、画面であろうと生身の人間であろうと、やろうとしていることや考えていることはさほど変わらない。

 

  

 このようにして日々思っていることや考えていること、取り組んでいることを書き流していると、ごくたまに誰かの目に止まって、それは運が良ければコメントしてくれたりする。そこでは別に、特殊な取り組みとか稀な体験が必須なわけじゃなくて、私/僕の目線から見える物事を思った/感じた通りに淡々と、書き流せばいいと思う。そこでは少なくとも謙虚に自分本位の姿を見せればいい。ただし迷惑はかけちゃいけない。

 

   インターネットは僕らにいろいろなものを見せてくれる。確かに多様な視点が要る。それがないと「なんでこの人はこんなことばかり言うんだ!」と何度も地団駄を踏む羽目になる。まあ、そんなインターネットはおもしろくないよな。

 

 

    たとえば多様な視点を得るためには、日常の物事が自分の目線からどう見えているのかを知るところから始まるだろう。その次に、自分の目線から見える日常の物事が、私/僕ではない誰かの目線からだとしたらどう見えるのかを想像してみる。それはちょっと背伸びしたり、しゃがんだりしてみたりする具合に、だ。

 

 

    特殊な形の「交流」は歳をとってからでは出来ないことだ(僕は身の回りにダメな大人を何人もみている)。僕もよく噛み付かれたりしたけど、この程度のことなら恐れちゃいけない。批判は恐れちゃいけない。僕はただ、それだけを言いたい。