何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

6月26日(水)


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手元に本がない時。電車でケータイ*1を眺めているだけでちょっとした罪悪感を覚える(罪悪感? )。 急を要するメールやメッセージなら別だけど、たまに気をぬくと本を忘れる。反省もせず、画面の中でめまぐるしくフローする「投稿」*2を眺める。それを2、3メートル離れたところから架空の自分が客観視(客観視?)して「画面に夢中になりすぎて顎が前に出てるぞ」とか「それなんの得になるんだ?」とか毒づいている。

学生時代は、地方新聞社に勤めたかった。あのニュースの池上さんは2冊以上「本」を携帯していないと気が済まないらしい。忘れるとわざわざ家に取りに帰るか、駅併設の本屋でぱぱっと買ってしまうとか。そのエピソードは、ニュースの読み方をテーマにした彼の本で読んで知っていた。就活で行った永田町のセミナーで、本人の口からおんなじエピソードを聞いて「ほんとなんだ」と思った。   それ以来自分の中にも「何か」が根を張ったようで取り憑かれたように本を持ち歩いていた。あのころ手に提げていたビジネスバッグには何が入っていたのかいま思い返してもよくわからない。まあパンパン、そこにさらに詰めるもんだから見栄えがよくなかった。揺られる電車は心持ちいいはずがなくドキドキしっぱなし。

そんな時本を開いて、そこに没入する。いや言い直すと没入まではできなかった。一瞬の気の紛らわしにはなった。イブクイック頭痛薬が5分で効いて25分くらいその効果があるみたいな感じ。

めっちゃ効果は短い鎮痛剤。

 

文字にすると陳腐だけど書きたい。あいも変わらず本が好き、もっと言うと本がある空間が好きだ。お金がたくさんあるわけでもないので、高尚な本棚をこさえてズラリと本を並べることはできない。立派な読書家とは言えないだろう。お金のあるなしは直接関係ない、でも読みたい本を「欲しいから」というだけ買うこともできない。でも買っちゃうんだよな。

ジュンク堂の本の前に立つ、頭の上に呪文が降ってくる。「どうせ読みたくなるんだろう?」「すぐに為にならなくても本のことで気が気でなくなり眠れなくなるんだろう?」。まあそんなことはないのですがこの狭い部屋に「積ん読」がアメーバ🦠のごとく増殖する(こんなこと言うと同居人に怒られそうですが)。なぜか「買ってきたの?」と言うだけで他はなんの文句も言わない。言っても無駄だ、と思っているんでしょうが感謝しています。

 

学生の頃は時間があった。本を読むしかないような環境だった。なのでなんとなく、会社に入ったら本は手に取らなくなるんだろうな、という感じがあった。それはちょっとした不安であり残念感であり、期間限定的なものに対する寂しさのようなものだった。であるがしかし、うまく拾ってもらったこの会社でも無事、御多分に洩れず、僕は本をそれなりに読んでいます。

21歳の自分、心配ないです。

 

 

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*1:やっぱりスマートフォンと言うべきか?

*2:しかも、素知らぬ誰かの!