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誕生日・長濱ねる・大岡山の傘/2022年2月16日(水)

 

去年末のクリスマスイブ。確か金曜日だったと思う。朝から何もお腹に入れていなくてグロッキー状態だったわたしは昼ごはんを買いに階段を8階から降りていた。ラジオをイヤホンで聴いていると、こじるりの声が聞こえてきた。その番組がこじるりの番組かどうか知らなかったんだけど、ザッピングしてたらたまたまあの声が耳に入ってきて、反射的にこじるりだと思った。いつだったかSNSで、「ヒットする女優の要素として、声だけで誰かわかるかどうかじゃない?」というのが流れてきて、その人は持論の例に広瀬すずとか杉咲花をあげており、確かにと思った。
それで、こじるりの話にもどす。番組内の秋元康とのやりとりで「わたしの誕生日は12月23日で子供の時からクリスマスプレゼントと誕生日プレゼント一緒にされてきたんですよ。あれがすごく嫌で。だって、それぞれのプレゼントって意味違うでしょう?」そんな趣旨のことを嘆いていた。まあわかる。プレゼント話の発端は確か視聴者からの投稿「プレゼント選びのむずかしさについて」で、秋元さんはこじるりの嘆きに同情しつつ「プレゼントってよく値段の高さじゃないっていうじゃん。あれを真面目に考えてみると、やっぱり大事なのって選んでいる(選ぶために費やした)時間なんだよね」と言っていて、まあたしかにと思った。うけとる相手の立場に立って本当に欲しかった、必要なものだったらもちろんベストだけど、物のジャンルとかはやっぱりサプライズ(「何が欲しい」とか聞いてではなく知らされない)ほうがよくて、その人をおもってどれだけ悩んだか、どれだけ考えたかが大事だと。まあいいこと言ってるなとうんうん、と頷きながら階段を降りていた。
中学生の時、自分とおなじ誕生日の有名人をネットで検索したことがある。演歌で一発売れたジェロとかKAT-TUN中丸くんとかが出て、正直いうとそんなに嬉しくなかった。でも、誕生日が来るたびに、中丸くんに至っては日曜の午前の番組で顔を見るたびにさきに書いたことを思い出す。みんな、ジェロとか覚えてますか?
ちょっと話は飛躍するけれどきいてほしい。この頃長濱ねるをよくTVでみかけて、けっこう素直に可愛いとおもった。で、なんとなくの興味でネット検索していたら誕生日がいっしょだった。心の中が一瞬でお花畑になって、苦い思い出はよいものに更新された。そのついでに他もいないかなと誕生日を検索してみると、なんと、いま時の人である桝太一アナウンサーも同じだった。長濱ねるに並んでトップに躍り出て、中丸くんは嬉しい度ランキング3位くらいまで下降した。「あたし有村架純と誕生日同じなんだよね」とかマウント気味に話題をふられても、これからは言い返すことができる。よかった。
で、長濱ねるに話を戻すと、彼女の名前を意識してみるようになったのは坂元裕一の特集を組んだ『ユリイカ』だった。彼の作品の演者になった人とか、一方的なファン(もちろん著名人、ねるもその1人)がこぞってたかって寄稿したりして、テーマもテーマなのでわたしにとっては宝石箱みたいな一冊。ねるはドラマ「カルテット」への思い出のような趣旨でエッセーを寄稿していて、1年前、買ったその時は誰だかわからなかったのでよく読まずあまり印象には残らなかったが、文章はたしかにうまいとおもった。わたしは「長濱ねる」という名前から、でんぱ組か何かの類のメンバーかと思っていたけれど全く違うようだ。「なんとか坂」。ビジュアルも想像していたものとまったく違った。「ねる」はWikipediaによると本名らしい。驚いた。
ねるという名前は本名であり、その由来は母が名前に「る」という字を入れたいという希望があったことと、「考えを練る」の「練る」という意味からきている。
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「ながはま」で思い出したことが一つある。普段使いもしない路線の大岡山駅で降りて、長浜ラーメンを食べた。確かアド街で大岡山が特集されており、その店は人気だということでマップにピンをつけていた。いくチャンスが訪れたのは、去年8月、2回目のワクチン接種の帰り。午後休をもらっていて、さすがにそこのショッピングモールによったり、川で遊んだりする気力はなかったが、まっすぐ帰るのも惜しかった(自宅のある本郷から職域接種を受けるのにわざわざ二子玉川まで行ったのだ)。二子玉川から大井町線に乗って、目黒線に乗り換える大岡山で降りた。ふと、パッと、思い立って。ラーメンの味はというと、正直印象にのこらず、また行こうという気にはなれないものだった。しかし店主がやさしかった。14時前に入ったのでお昼も終わりどき。だからかはわからないけれど、頼みもせずにトッピングをサービスしてくれた。そこは東工大がある、学生街だからそんなことが日常茶飯事なのかもしれない。それで食べ終わるころ、すごい土砂降りが一帯を襲った。予報ではあと1時間くらいだからと悠長にしてたらゲリラがきた。傘なんてもちろん持っていない。駅までも数百メートルあったので、重い気分で会計をしていたら「はい、これ」と手渡された。使えるかね、と店の中で開いて確認し、それは明らかに子ども用だったけれど、あるに越したことなかった。すごく嬉しくて、大きな声でお礼を言った。よくある比喩の通り「バケツをひっくり返したような」雨を目の前にしワクチンを打って安静にしなければならないわたしはそんなことを忘れ、子ども用の傘を握りしめて出せる限りの力でダッシュした。その傘は電車に無事乗れボーッとした一瞬でしまるドアに挟まれ、その圧で使えなくなった。一回限りの命だった。南無。