何を書くか、何を書かないか。

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2021年 10月 16日(土)/ジャズと大阪と贈与

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土曜日朝9時。ベランダに出ると足の指先が冷えて、いよいよだなと思った。幾つかの種類の鳥が啼き、車は忙しそうに走っていた。
土曜日の朝10時。アップルの空間ミュージック(ドルビー)で迷う事なくジャズを選らんだ。良い音に包まれながら布団にもぐり込み、それだけで幸せな気分になれる気がした。大きな音だししっかり聴いているし眠らないだろうと踏んでいた。僕はぬいぐるみを枕がわりにして寝転がり、疲れた頭を空っぽにしようと試みた。

電信柱と背の低い家屋が密集する路地裏の情景が浮かんだ。ついさっき見たものだ。家のベランダから見下ろせるそれは、東京下町特有のものだと住んでよく解った。岸政彦・柴崎友香共著エッセイの「大阪」に描かれる大阪の街並みもごみごみしているそうだった。イメージが重なったというか、勝手に重ねたかったのだ。大阪に行ったのは修学旅行と学生時代の試合と仕事。3度くらいしかいったことがない。学生時代のそれでは大阪に居たいがために心斎橋のカプセルホテルと夜行バスを1人で予約して帰りを1日遅らせた。
昼の1時、秋の風はまだ熱かった。どの駅あたりかも覚えてない。ガード下で「180円生ビール」という文字を目にして飛び込んだ。中に入るとそこには中年の女性グループしかいなかった。飲みながら楽しそうに話すのが嫌というほど聞こえてきたのを覚えている。そこには本物の生々しい大阪弁があって、赤の他人なのに笑わさせられた。彼らはとにかく情景描写が優れている。

岸先生に限らず誰かが書く文章の中で、「大阪」という街を勝手に知り、勝手に想像をしている。もう一度行きたいと思ってもう2年が経った。対比してこの住んでいる「東京」は、日本の中では一番「たくさんの人に」「勝手に」想像されている街なのだろう。

ジャズを聴きながら眠ったことが下に書く夢と関係あるのかどうかわからない。おそらくないと思う。ただ非常に濃密で、色々混み合っていてややこしかった。
一つ記しておく。「夢というのは人間がいいように作っているんです」「思い出しながら整理していて人はみなストーリーに仕立てる」。夢について考えるとき、テレビか何かで見聞きした理論なのかわからないあれが思い浮かぶ。文章にすることで、あれもこれも整理されてしまうんだろう。と思いながらでもなお残したい。夢の端っこはこぼれたらもう元には戻らないのだけど、これがもし何かを意味していているのであれば、それが何かを知りたい。

寝起きで書きなぐったものを少しだけ修正したので非常に荒い。

⑴あまりに多い料理と酒、悪酔い、注意、おっさん、贈与

仕事場が同じだった年上の女性といた。恋人がいない時分、一度好きになった人だった。場所は多分東京であろう。店自体は2階にあり非常に狭かった。そのくせ一つのテーブルに計9つくらい椅子がついていて、それを整理するのに苦労した。酒を飲んでいた。それほど飲んでいないはずなのに、どちらも深く酔っている風だった。酔っている感じがものすごくリアルで、夢の中にいる私がその自分を客観視して嫌になるくらいのものだった。夢において自制は意味を成さない。食べきれない食事と飲みきれない酒。やってくるペースが早くて手と口が間に合わない。あふれにあふれる。パスタ、かきふらい、スープ、煮魚、やきとり、どんぶり。ビール、ワイン、シャンパン、日本酒、ジン。何料理屋なのだ?食べれもしないのに、なぜこんなに頼むのか?彼女へ難癖をつける。どうせ払ってくれるんだろう、と夢の中の自分が思った。手元のスマホが震えた。私のものではなく彼女の会社携帯だった。いきなりアニメが映った。どんなシステムか知らないがテレビの視聴予約みたいなものなのかだった。会社のデータ通信でアニメを見るなよと何故か私は叱った。ごめん、と言われた。もう一度書くが、とても狭い席なのに椅子が本当に多すぎた。そんな中でおっさん(文字通りの「おっさん」)が人を待つのに僕のすぐ隣に腰掛けた。「なんでここ座るんだよ」と軽く手で押したら彼はどこかへ消えていった。すこし悪い気はした。しばらくして料理と酒が落ち着いた頃、彼女が店の人から小箱を受け取った。「お詫びだよ」とのことだった。一体なんのお詫びなのだ?自販機で売られているような350mlのペットボトルくらいの大きさで、こまかく覚えていないが「なんとかビール」とラベルの貼られた小瓶がたくさん詰まっていた。「悪いよ」と言って初めは返そうとしたが「うちは飲まないんでね」と言われてそのまま受け取ってしまった。歳上の彼女はそれにいたく喜んで上機嫌になった。窓ごしにみえる外はまだ明るかった。日の様子から多分2時くらいじゃなかったか。どんなシステムか知らないが二人とも会計を払わずに外へ出た。そこは大きな通りでありながら電信柱がやけに多く並んでいた。日の沈みはいつのまにか速さを増し、夕方に見えなくもなかった。

二人して、いやあるいは小箱を抱えた私だけが、ここは何処なのだのだろうと思った。至って東京らしくなかった。