何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

1月9日(木)

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もう一つルールを作る。テーマは特に定めないにしても、エピソードや本の気になった 一節、誰かから聞いたこと(伝聞)をひとつは引用したい。記憶はとてもバイアスがかかりやすいので、引用内容は細かいところまで正確とは言えないかもしれない。手元に本やメモがあれば確認し、そうでなければ記憶のままに書きます。引用元に迷惑をかけない程度に。

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『今ではどこでもお店ではジャズを流すようになった。蕎麦屋でジャズを聴くなんてジャズ喫茶を経営している時には思ってもいなかった*1。ジャズというものは本来「さあ聴くぞ」と前のめりになって聴くものなので、なんだか拍子抜けしてしまう*2」と言ったのは村上さん。共感した。確かにチェーンのカフェや本屋、雑貨屋さん、ラーメン店までも静かに「小気味いいジャズ」を流している。能動的にジャズを聴き始めた始めはおかしいとは思わなかったんだけど、このエッセイを読み確かにそうだよな、と思った。

ジャズ喫茶といえば静かで落ち着いたものもいいのですが、やっぱり胸の下(みぞおち)あたりにズンズン、ドンドンと「何か」が突き上げられるくらい大音量のところがいい。四谷の「いーぐる」、原宿の「ジャズユニオン」、下北沢の「いーはとーぼ」そして山形駅の「オクテット」。どこも基本的には会話が十分にできません。ちょっと友達とお茶するためとか、自主学習や本腰を入れて本を読もうとしたら難しくて、「ジャズを聴きに行く」姿勢がいる。息を長く続けているジャズ喫茶の中にはもちろん来客同士の会話を全く許さないところもあるけど、それよりかは幾分ゆるいです。自分次第で、いくらでもストイックにジャズを聞ける。そこにいるおじちゃんは音楽を聴きながら目を細めて、誰と話すでもなくウンウンとうなづいている。そこではきわめて限定的にタバコの煙も奥行きや意味のあるものに思える。そしてやっぱりジャズは前のめりになって聴くものだと痛感させられる。

もしジャズをバックグラウンドミュージックにするなら、手を動かす作業にはもってこいだ。頭をあまり使わないもの。料理とかアイロンがけ、掃除、洗濯・・・つまりは家事ですね。リズムに乗って、いつもは手をつけないところにもついつい取りかかってしまう。

*1:作家になる前に国分寺千駄ヶ谷にジャズ喫茶を開いていた

*2:別のところではまた「お店は無音が一番」とも言っている