何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

1月8日(水)

 これから書くものは、ただの記録でしかない。1日の中で人と会う数が圧倒的に減り、言葉を話さなくなり、そして、何についても書けないような気がする。語れないような気がする。書くものはこれまで以上に断片的で、取り留めもないものになると思う。でも、そうやって学生時代から書いてきたのでしょうがないことだ。所詮はひとり言で、自己満足で、誰からも結果を求められることではない。マラソンみたいだ。

 社会人1年目の時。思っていること、書きたいことをうまく書けない時に学生時代に書いたそれに手を入れていた。原稿を直すのとは訳が違うけど、いま思えば原点的なものかもしれなかった。書いたことに対して恥ずかしい思いもあるのだけど、それは、もう、ほぼ他人が書いたものなのでスラスラと書き直せる。それが名文になっていくわけではないんだけど、そこにはある種の「ブラッシュアップ」というか、ちょっとした「洗練」と呼べるものが起こる。それまで気づかなかた無駄な言葉がそぎ落とされ、その前よりも幾ばくかは読みやすくなる。あれはなんというか、スッとします。

 さて「過去の自分が小説に書いたことはほとんど覚えていないよ」というのは村上さんですが、それをインタビューや対談で問い詰められると「根底にあるものはモノが変われど観念的に同じなのかもしれません」と言っていて、それは小説を書いていない自分も面白いなと思ったし、けっこう共感できた。これについて細かく書いていると自分が書いておきたいことが書けなくなる恐れがあるのでここからは割愛しますけど、自分が過去に書いたものは、ほとんど他人が書いたものなのだ。

 ところで11月末に出たつくばマラソンでのことだけど。僕は10km〜25kmまで割と脚がよく動いたので、「あいみょん」の曲を口ずさみながら走った。よく脚が動いたから口ずさんだのか、気分を良くするために口ずさんだのか、どうしてそうしたのかはわからない。知っている歌を全て出し切ったところで歌詞が出てこなくなってやめた。すると呼吸は自然と楽になり、心なしか気持ちに余裕がある状態が持続した。歌詞の内容が通常よりも強く身体に入ってきたような気がした*1。一体、なぜだろう? 不思議な時間でした。あの不思議な40〜50分の間には雨がざっと降り、気付いたときには止んでいた。多くのランナーを抜かし、その後には抜かされた。その抜いて抜かれたランナーが全く同じとは限らないけど、抜いたぶん抜かれた気がする。細かいことは調べていないので分かっていない。田んぼ道をハアハアと言いながら大勢の大人たちが走り、遠くから見ればそれは、カラフルな格好をしたアリの行列に見えたかもしれない。

 自分の立ち位置は、自分で決めよう。社会と切り離される感覚は、それはそれまで私がそれと強固に結びついていたことを示してくれるのだと実感する。これからエントリーを増やしていくけど、何度も書き直していくと思う。一つに時間をかけられないので。まず「記録」を増やしていく。社会と切り離されている時にしか書いておけないことを、なるべく書いておく。

 

*1:通常とは、移動時や家でリラックスしながら聞いている時などを指す