何を書くか、何を書かないか。

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4月28日(土)

「ねこと神戸」
 朝から風が強かったがよく晴れている日だ。カレーを作ってひと段落してた。僕は牛乳を飲みながらグレン・ミラーのムーンナイト・セレナーデ、イン・ザ・ムードを流した。床にいるねこの首を掻いてやると、ごろんと背中を床につけてお腹を見せてくれた。時には怖い顔をして指を噛み、どこかにいってしまうこともある。そこに中途半端さはない。イチかゼロだ。こいつはおすだけどどこか女性に似ていると感じることがある。

 イラストレーターの和田誠さんと村上さんの共著「ポートレイト・イン・ジャズ」を久しぶりに手に取った。和田さんが描かれたジャズの名奏者の似顔絵(ポートレイト)に、村上さんが一人ひとりエッセイを書いて加えた一冊の本だ。そこで先に書いた代表的二曲を生み出したグレン・ミラーの紹介が面白かった。村上さんが処女作『風の歌を聴け(HEAR THE WIND SONG)』を思い出してこう書いている。

「この本をもし映画にするとしたらタイトルバックにはグレン・ミラーのムーンナイト・セレナーデを流したい。あの頃(1970年夏)の神戸はそんな雰囲気が漂っていた」。

    僕はその音楽と時代、そこに加えて「限定的な土地」の要素が入るとどうしてもウキウキしてしまう。東海道新幹線で熱海あたりで流される「乙女の祈り」も同じような感じである。非日常の西日本に入っていってしまう境、関門をくぐりぬけるぞ! という不思議な感を抱く。話を戻す。いつも浮き浮きではないにしろ、まず心が「みゅー」っと収縮して、そして「ぶるぶる」と揺さぶられてしまう。なぜだかよくわかっていない。

 もちろんその時代の神戸に、僕はいくことはできないので、今度もし神戸を訪れることがあったら夕方にあのポートタワーのある港町に行き、しっとり「ムーンナイト・セレナーデ」を聴こうと思っている。

ちなみに僕にとってのジャズと土地はというと。つくばのマンションを離れる際、がらんどうになった部屋で聴いたチェット・ベイカーの「バット・ノット・フォー・ミー」です。空響きする音がやけにリアルで、ちょっとだけいろんなことを思い出した。この曲はいろんな人がアレンジなりカヴァーなりしているけど、やっぱり本人が演奏している(顔は見えないので、演奏していると思われる)この曲がいい。失われてしまうことが前提の、ある種の暗い青春の雰囲気があって、いつ聴いてもぼやけた気分がする。だけどつくばでよく聴いたそれはやはり格別だった。どのように格別かといってもあまり上手く説明できないのですが。

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ねことジャズ、ねこと読書、ねことコーヒー、ねこと洗濯。どれをとっても何かしらタイトルや見出しになりそうなのでやはり「ねこ」は万能でおもしろい。

 

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