何を書くか、何を書かないか。

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寝耳に猫

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水たまりに沈んだセミの死骸を見た。台風が近づいている。近所の喫茶店はガラガラに空いている。店にとってはあまりよろしくないことだが、もちろん僕にとっては嬉しい。街中の喫茶店はうるさすぎる。これは店がどうにかなる問題ではなくて、僕がうるさいところを好まないのなら僕自身がよそに行くしかないのである。

夏の東京は暑い。比喩でもなんでもない、まごうことなき「酷暑」である。都会のヒートアイランド現象を肌でひしひしと感じ「去年もこんなに暑かったか」と毎日頭をもたげている。

夏は何と言っても「遠出」である。すでに海に1回、山に3回行っている。河川敷のランニングも含めれば、川にも何回か行っている。街を離れ自然という自然に触れると、街の暑さの尋常のなさを知ることができる。というわけで、自然万歳、雨万歳。

彼女の飼う猫を世話するために1時間かけてやってきた。家族の結婚式で帰郷している。ドアを開けると彼はミャアミャアと鳴き、空っぽになった器にご飯をよそってやると一気に手をつけた。お腹が空いていたんだなと思うと同時に、僕の怠慢で部屋の鍵を取りに戻り予定よりも2時間近く到着が遅れてしまったことを申し訳なく感じた。ごめんよ。

僕はこれまで動物を飼ったことがないから、飼育に関する基本的な知識は乏しいのだけど基本的には人間に接することと変わらない。彼は少し早すぎる朝に活動を始め、だいたい決まった時間帯にご飯を食べ、僕らとだいたい同じ時間に眠くなる。彼が目をトロトロとまどろませ眠そうにしていたら部屋の電気を消さないといけない。

朝5時に顔に飛び乗られることにもだいぶ慣れた。というかある種の嬉しさがある。短い後ろ足を触れば噛まれる。耳の後ろや顎のあたり(猫の顔の中で口の下をあごと表現していいのかわからないが)を触ればダレる。一緒にメロウジャズやピアノを聴くと同じように眠くなる。

彼女のいない部屋に一人でいても(当たり前のことだが)僕は一人ではなくて、部屋では彼女のでない生き物の気配が静かに床を動き回っていることを感じ取れる。その中で僕は深い眠りにつく。

彼女と付き合うようになり、また猫と暮らすようになってから(といってもまだ2ヶ月程度だが)僕は驚くほどに「眠れる」ようになった。これは誇張でもなんでもない。だいたい朝は5時半頃に目を覚まして活動を始めるから、夜の9時半あたりにはまぶたがかくのごとき商店街のシャッターのようにガラガラと降りてきてしまうのである。不眠で辛い思いをしたことはまだない。

これはあるいは考え過ぎかもしれないけれど、ビールがうまく飲めたり相手が好きだという感情的な揺さぶられなどの日常的な刺激よりも「より眠られる」という精神的な安定が僕と彼女を、また僕と猫をしっかりと結びつけているのではないかと思わないでもない。