何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

「快適空間」と「多毛作的人生」

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家の近所に「東亜」というコーヒーショップがある。名前だけ聞くとなんだか、店主が戦時中の日本の体制に思うことがあったように思えるけどおそらく関係ないです。世界中のコーヒーをトレーディングを通じて提供する。

 

土日はよく混んでいて、前に行った時は2度「いま席がいっぱいで」と言われて入店を断られた。外からドアを見ると「現在満席です」という札が掛けられていた。初めてここに行ったのは入居を決めて契約書に印鑑を押した日の夕方だった。「ここからさいたまに帰るのは嫌だなあ」と思った記憶がある。

 

「もう一度部屋を見せてくれませんか」と管理会社のおじさんにわがままを言うと、ドア横に鍵があるんでこのナンバーで開けて入ってくださいと言われた。東京もこんなものか、と思った覚えがある。本当に何もないがらんどうの部屋は明かりがつかなくて、時期は12月だったから4時過ぎには文字どおり真っ暗になった。スーツに身を包んだ青年は全く音のしない部屋で、床の嫌な冷たさを感じながらポツンとひとり佇んでいた(仕事は午後休みをもらっていた)

 

ここに住み、後にわかることだけど「これからの冬、この部屋の孤独に耐えられるだろうか」と思ったのがその時の正直な実感である。でも近所にはコーヒーショップはあるし古本屋もある。八百屋があって床屋があってコンビニがあり、24時間のスーパーもある。これ以上何を求めればいいというのだろう? 

 

あの時に抱いた孤独に対する「不安」は、上記の町的なインフラでは解消できなかった。おばあちゃん家の庭にある岩のように強固でなんとなく言葉にしづらい。ぽつぽつ書いていたブログをときどき読み返すと ーおそらくこれを読んでくださる方やたまに覗いてくださる方にはわからないかもしれないが‥ー それなりに切迫感と痛切感があった。それに耐えるべく「走っていた」んだな*1と、今になって理解することができる。 

 

部屋から渋谷まで10分、新宿まで20分。気持ちの昂ぶっていた僕は引越したてのころ、休みがあるたびに街に出た。街に出て新しい道を歩いたり、あるいはかつて誰かと歩いた道をなぞるように歩き、いろんな雑感を得た。思いがけずいい店を見つけることもあったし、ちまたでよく言われているほど面白くないなと思ったこともあった。

 

異動先の部署*2でのスケジュールに多少は慣れ、1週間がルーティンのように回りだした頃、ぐるっと1周まわったのか休みの日は部屋でのんびり過ごすのが一番だと思うようになった*3。「どこかに出歩かなければならない」という、ある種の妙な強迫観念(のミニチュアバージョンみたいなもの)に出合う経験は、社会人になってたくさんの不安を抱えながら新天地で過ごしたり、それこそ東京の都心に近いところに住まなければそれなりに得がたいものである。いい経験ができたと思っている。

 

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「君らはそんなぬるま湯にいていいのか?」と問いかけられたことが何度かある。その言葉やセリフを口にした人もおそらく誰かに問いかけられ、ハッとし、僕も私も誰かに言わなければいけない、と思うのだろう。確かに訴求力のあるセリフだと僕も思う。

 

「コンフォートゾーン」というのは「快適空間」と訳されることが多い。例えばそれは「新入社員で入社してから一貫して勤め上げ社長まだ成り上がる」とか「郊外に一軒家を購入し改築に改築を重ねる」みたいなことだと想像する。正反対に当たる概念は「旅」(世界一周ではなくとも、それなりに場所を転々とするもの)だと思う。さすがに上に書いた例えは大げさに言いすぎたけど、普段の生活を無目的に生きている人を非難するための道具(言葉)である。うん。

 

保守やら革新やら思想まで手を伸ばすと収拾がつかなくなるのでやめておくけれど、僕はマインドセット*4的に、「コンフォートゾーン」の脱却を念頭に置いておきたいと思う。これから何かをやりたいと思って相談している女性に話してもらった経緯があってのことだ*5

 

「コンフォートゾーンの脱却」はなかなか効果が見えにくいものだけど、よく考えてみれば世の中のあらゆることは、大抵「効果が見えにくい」ものではあるまいか。あるいは、問題はそのような性質をいいことに「効果が見えにくい」ことを全て了解し「効果見えていると思わない」点にある。「果報は寝て待て」「万事尽くして天命を待つ」という経験がまだないので偉そうなことを言えないが、逐一状況を確認しながら少しでも変化している点を抽出および評価していれば効果が全く見えない(現れない)なんてことは、まずないはずである。

 

事業や業務内容を把握し、職場の人間関係に慣れたころ、別のステージに移るというのはそれなりに怖いことだと推察する*6。少しだけ話を発展させる。僕らが本当に想像しないといけないことは、冷たい石の上に座り続けたら温まってくる(そして社会的立場も上がった)なんていう教訓的寓話ではなく、今にも崩れてしまいそうな氷山の端っこにおり見計らって別のところ(それもまた氷山かもしれない)に飛び移らなければいけない(ということが話としてはありうるという)ことではあるまいか。

 

残念ながらソースはないので感覚的に捉えてほしいのだけど、「アメリカ人は一生のうち8度職を変える」と言われているらしい。それをわれわれは「多毛作的人生」と呼び、遠いところでのんびりと眺めているわけだが、ピンとこないなりに周りを見てみるとなんとなくわかる気がしないでもない。

 

 

僕はここで書いたものについて何かの意味をもたせたいとか、たくらみを暗示したいとかいうわけでなく、先に書いた「コンフォートゾーン」について、保守的に過ごしている人とそれなりに関わってきた、あるいは関わっている経験があるから書き残している。 ところで日本マイクロソフトを設立した成毛眞氏(辛口書評をする人)や平野拓也氏は北海道出身とのことで、北海道出身の方は代表取締役になれるかもしれませんね。

 

 

 

 

 

*1:あるいは「走れていた」

*2:僕が入社時に希望していた編集部

*3:休みという休みがイベントなどで潰れたがそれも悪くなかった

*4:心持ち

*5:相談したその日にホクホクした気分で「プレジデント」という雑誌を買ったら誌面別ページで2箇所も書いてあり驚いた。一つは本田健という会計コンサルのページと、もう一人は日本マイクロソフト代表取締役の平野拓也のページだった。あるいはその日に携えていた村上春樹のエッセイにもよく書かれており、彼の場合は引越しが病的に好きで、その土地の人間関係や景色などすべてを「チャラにできるのがいい」から「引越しはやめられない」と言っている

*6:それなり、というかとんでもなく恐ろしいことだ