何を書くか、何を書かないか。

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こんな晴れた日は

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 この頃グーグルフォトが「2年前の今日の思い出」みたいなテーマで写真をリマインドしてくれるんだけど、そこでの僕はその当時付き合っていた*1彼女と笑っている。グーグルフォトに悪意はないんだろうけど、5日ばかりリマインドが続くとそれはないんじゃないかと思う。もっともこの便利なサービスが教えてくれるのは、その頃の僕は一瞬一瞬を写真に収めないと気が済まないくらい、日常の何もかもが楽しく感じられるような僕だった、ということだ。

いま僕が以前の彼女に対して「何も思うことがない」ではないのだが、だいぶ「デートらしいデート」もご無沙汰になっているので、こんなに気持ちよく晴れた日はやっぱり女の子とデートがしたい。

でもデートする女の子の顔や行くべきお店の想像がつかないのが困った。デートに漕ぎ着くまでに必要な手順も忘れた。あの時に感じた「胸の震え」もどんなものだったか忘れた。あるいは、そもそも知らなかっただけなのかもしれないんだけど。

 

 

こんなに外は暖かいのに僕の部屋は冷蔵庫のように寒い。荷物があるのにがらんどうとしている部屋は冬の底冷えとは違った冷たさを持っている。春なのに寒くて胸が震える。

僕の住む世田谷区はとんでもなく人口が多いのにとても静かだ。休日の昼の公園は縁日的にわいわい賑やかで、晴天と新緑の下のランニングは気持ちいいというほかに表現が見当たらない。

部屋から歩いて1分のところに駅があるんだけど、この部屋にいるあいだ電車の音がまるでしないのが不思議だ。昼も夜も恐ろしく静かである。ある意味では東京にいるということを忘れられもする。都内にいるにもかかわらずこのような環境に置かれると (どちらかといえば喜ばしいことなんだけど) 一人という現実を余計に実感しやすくなっているのではないか、と春のよく晴れた日に思うのですが、いかがでしょう。

*1:今年の1月に別れた