何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

「アメリカン・ビューティ」(1999)

 

f:id:masa1751:20180408202003j:image

アメリカン・ビューティー」(1999)を観た。

40歳を過ぎた広告マンのレスター・バーナムと上昇志向たっぷりの妻キャロリン。彼らの家庭生活に潜む歪んだ真実が徐々に暴かれていく。妻は夫を憎み、娘のジェーンは父親を軽蔑している。そして会社の上司はレスターにリストラによる解雇を告げる。そんな毎日に嫌気が差したレスターは、人生の方向転換を図る。しかし、自由と幸せを求めるレスターを待ち受けていたのは、あまりにも高価な代償だった。

 

僕ではうまく要約ができないけど、よくできた映画だと思う。今朝読んだ村上さんのエッセイは「アメリカの郊外の家に住むのは隣人が何をしているかわからなくて怖いから、できれば避けたい」というような内容で、まさにそのような中身で驚いた。

 

それと、この映画をアマゾンのプライムで見たんだけど僕がどういった経緯でこの映画を「ウォッチ・リスト」に登録したのかが定かじゃない。近所の喫茶店においてあるポパイの映画特集で読んだためかなと思ったが、手元にある雑誌には「アメリカン・ビューティー」が取りげられている様子がない。喫茶店で読んで「これは手元に置いておきたい」と思ってアマゾンの中古品を買った。中古本の到着は7日後くらいに設定されているんだけど、大体において2日ばかりで届くのはなぜ?  予防線ですか? 

 

主人公のレスターは「娘の友だちを考えながら”発射”してしまう」父親で振り向いてもらうためにあくせくワークアウトに勤しむ。目に移る世界はみるみるうちに彩りを帯びていく。夫婦間はすでに冷え切っている。18歳という難しい年頃の娘は火に油を注ぐ。母親は小さい頃は貧乏で小さなアパートで暮らしていたということも知らずに「センチなホームドラマはやめて」といい引っ叩かれる。

映画冒頭では、娘ジェーンと誰かの「父を殺したい。じゃあ殺ろうか?」という妙な掛け合いが妙なホームビデオ調のなかで行われる。そのあと、このレスターの住む町と思われる風景を空からズームインしながら「ここが僕の住む町、ここが僕の通り、これ僕の生活。今年42歳で1年たたぬうちに僕は死ぬ」とレスター自身がナレーションする。不自然な前置きがある。

最後、レスターの希望が叶うところまでことは進むが結局友だちとは「ヤらない」。この友だちは死ぬほど可愛いのにヤらない。あれだけ「思った」のにヤらない。なぜか。想像に任せたい。あるいは実際に観てほしい。

ヤらなかった後、二人はキッチンで会話する。幸せな光景だ。ジェーンのことを聞かせてほしいレスラーはいう。友だちはジェーンと喧嘩したばっかりだった。「君は幸せ?」というレスラーの質問に対し「あなたはどうなの?」と聞かれレスラーは「I`m great. 」と答える。