今年は2度、桜の満開に立ち会った。1度目は東京で。2度目は茨城で。桜前線にあわせて北上していけば、約1ヶ月くらいは桜の満開に立ち会えるのかもしれない、と思った。だけど今の私にはできない。いや、学生のうちもできなかった。ただの想像だけどたとえ「計画的北上」が出来たとしても、そこでは満開の「貴重さ」や散るときの「儚さ」は感じえないんじゃないか、きっと。
この23歳になってはじめて、桜が散っていくところに「儚さ」を感じた。学生時代に住んだ街でキャンパスに向かう道すがら桜吹雪に遭遇した。いまここが現実かどうなのか判断できなかった。散った花に対して何かを思い、その向こう側に何かをみた。100%開いた花びらが地上に降りているところをカメラで撮った。伏せていた。降伏しているようだった。君は一体何に負けたというのか。緑に変化するのがどうしてあんなに早いのだろう?「ついこないだまで盛んで・・まっピンクでした」と言っても、きっと周囲からはうそつき呼ばわりされるに違いないですよね。
3月の頃の不安も桜の散りゆきに合わせて霞んできた*1。というかあの時に抱えていたそれは「期待」に変わっているような気がしないでもない。ところで「切りかえが大切」ということを遠い昔から体現してくれたのが私たちの「桜」ではないでしょうか。 桜の変身はほんの数日ですが、返信はおよそ1年先になります。
*おそらく大学2年の春。学生宿舎からマンションに引っ越したころ
*伏せるもの
*外苑もまた、平和の象徴のような場所でした。プロ野球も開幕したし外苑、
青山周辺は縁日的な騒ぎです (港区)
*反町の森公園から見る紫峰と満開の桜 (つくば市)
*走らせてみた(つくば市)
*1:春霞みたいだ。もやもやしていつのまにかなくなればいい