何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

グレーテルみたいだな、気づかなかった


Cannonball Adderley - Autumn Leaves

 

 

普段はあまり仲が良くなさそうに見える人たちが、特集や企画でタッグなりチームを組み楽しそうにしているのを見ていると、僕はなんだかホッと一安心する。

 

芸人同士がワイワイやるのはだいぶ慣れた。ちょっとそれはバラエティでやりとりしているところを普段から見かけるからだろう。例えばアーティスト。高校生の頃、GLAYとL'Arc~en~Cielはともに数え切れないほど聴いた。もしも媒体がテープだったらきちんと擦り切れてしまっていただろう。

 

高校生の僕は、ウオークマンに入れている曲以外の彼らの一面を知りたくて見漁った。その頃にはユーチューブを知っていた。動画の中ではhydeGLAYのTERUとTAKUROがコラボしていた。hydeGLAYの「誘惑」を、TERUがL’Arc~en~Cielの「HONEY」を歌う。これが本当に楽しそうで、好きなものからするとたまらない。やはりこの中ではhydeの高い歌唱力が目立ってしまうが、負けじとTERUは個性を突き出す。どちらも悪くないと思う。私は好きである。 

 

さてこの動画が教えてくれる「教訓」は、一人のアーティストが、本当に歌が上手かどうかということは、自分の持ち歌を(いささか表現が悪いけど)そつなくこなすように歌うことではなく、他人の曲を歌う時自分の個性をしっかりと乗せることができることだ、と僕は思う。

 

 

きちんと筋が通っているか不安だが、カヴァー作品やEDMによく見かけるリミックス・バージョンについて僕は比較的寛容で、いやむしろ、瞬間的には本家を上回って好きになることが多い。回帰して原曲に戻ってくることがほとんどであるが。シンプルイズベスト。

 

ジャズなんていうのは特に、一つの曲を何人もの誰かが演奏している。だからジョン・コルトレーンの「オータム・リーブス」。ジュリアン・キャノンボール・アダレイの「オータム・リーブス」みたいにいう。ちなみに僕は後者が好きで、ジョン・コルトレーンならありきたりだが「マイ・フェイバリット・シングス」が好きだ。タイトルは楽しそうなのにメロディはちょっと悲しそうなところがいい。「お気に入り」に明るいも暗いもないのか。名盤であればあるほど多く演奏され、語り継がれる。それはきっと論文でいう被引用文献の多さみたいなものかもしらない。