何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

1キロ3分50秒の回想 

 

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初めてのフルマラソンはいろんなものを与えてくれました。喜び、悲しみ、辛さ、痛さ、いろいろあった。「3.11  生きてることに感謝して走ろう」。こんなボードを沿道で見かけて僕はハッとさせられた。5km地点でのことでした。「ハンサムもいるもんだねえ、あの青いシャツのお兄さん」おばあちゃんがボソッと口にした一言を僕は聞き逃しませんでした。ありがとう。集団を抜けだした頃の13km地点あたり。「君は、走るのが好きか」。前を走るランナーのランニングシャツにプリントしてあって僕は「好きだ」と思った。そして「好きだ」と実際に口に出してみた。とてもいい響きだった。一番辛かった35km地点だった・・・。

 

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言うまでもなく、3.11は僕にとって特別な日だ。どんな風に? と訊かれると一言にまとめられないのですが。たまにふとデスクに置いている自分の小さな時計を見るとそれが「2:46」を示していて、数秒固まってしまう。その1分間がとても長い。

 

あれは4時間授業の日で、僕らは部活終わりのクールダウンをしていた。ちょっとおかしな話だけれどもあの地震が起こる前、つまりは2:40あたりまでのことをほとんど思い出せない。僕らはどんなふうに授業を受け、友達と会話し、お昼ご飯を食べていたのだろうか。風はどのように吹き、カラスは鳴き、草木は揺れていたのだろう。

 

顧問のボルボや他の体育教員のパジェロ、そのほか教員の車が一斉に、飛び跳ねた。その数秒後には体育館の窓ガラスが左側から順に割れていった。バリンバリンバリンバリン。それはまるで映画の象徴的なワンシーンを見ているみたいで、脳にこべりついている。そこさらに揺れが強まって -あれはとても長い揺れだった、顧問の可笑しそうな顔がこわ張った表情に変わるにつれ、傍にいたふたりの女子マネジャーが泣き、腰を抜かした。僕は片方を背負い、もう片方は肩をしっかりと掴んでグラウンドの真ん中の方へ引っ張って行った。

あたりが静かになり、震度5の揺れがきた。その度にボールが校外に飛んでいかないためのネットはシャンシャンと音をたて、われわれはじっと固まった。教員は一斉に何かを話している。でも、それは聞こえない。なんて言っているか生徒には伝わらない。恐らくは教員たちも、何を話したらよいかわからなかったのだと思う。

 

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5km以降あのボードを見かけてから、あまり距離について考えないようにしようとあの日のことを思い出していた。回想の中にいた僕のペースはいつの間にか上がっていて、いっときは1キロを3分50秒で走っていた。

 

本来僕は、この日宮城に帰ろうと思っていた。でもこちらを優先してこの通りマラソンを走った。理由の細かな説明には自信がないのですが、なぜかふと、初めてのマラソンだし、マラソンに向けて僕なりにささやかながらに努力してみようと思った。その努力には資格や程度はなくて、報われるとか勝つとか達成されることは必要とされません。ただ、生きている実感をこの身体で抱き取りたかった。

それはあまりにも刺激が強かったし大きな後遺症をもたらしたけど、充実感や達成感という抽象的な観念を超えて、ただ単純に「生きている」という超実際的、物理的体験を通じて「何か」を得ることができた。この足の痛み一つとってみても、生きていることの証拠と思って笑うことができる(実際は、一つじゃおさまらず顔を引きつらせているのですが)。

 

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あの日を「風化させない」とか「忘れない」「覚えている」ということを不特定多数の人間で共有するのは難しい。個人においてはもっと難しいと思う。世の中にはいろんな言葉が出回っていて、確かに耳障りよく、全て否定するつもりはさらさらない。「そうだ、僕もそう思う」というように共感を得やすいんだけれども、それはあまりにも足が早くて、その日は覚えているかもしれないけど床で眠りについて次の日も次の週も、そのまた次の月も覚えているかというと、あやしい。それが積もり積もって「あの日から5年という区切りをつけてしまう」問題を作ることを手助けしてしまった。

 

僕が考えるに、あるいはどこかではささやかに囁かれているが、死者を弔うことと同じくらい大切なことは「あなたが生きること」ではあるまいか。それに他ならない。もしもあなたが大切な人、あるいは大切でなくとも身近な人間をなくしてしまった場合、あなたが力強く、時に折れたって構わないから生き続けることだと思う。

そしてその自分なりの生きている実感を自分の手のひらの中や、胸のうち、足の裏でどくどくと感じることなのではないのだろうか。僕にとってはそれが雑誌編集としても仕事にしているマラソンだったのですが、あなたにとって「生きている」ことを実感できることはなんですか。