何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

甘えることと慣れることについて

 

 会社に行かず一日が終わる平日というのはなかなか奇妙なものである。第一に、夕方の電車は平和であること。酔いつぶれた乗客もいないから落ち着いていられる。第二に私が外出して活動している間にも会社はひそひそと動いていること。なかなか外に出て見なければわからないのだが、これがまた時間の流れが全く違うのである。第三に列車から明るい空を見ることができるだけで、なんだかスペシャリティな気分になる。

 

 総務にいた頃、ーといっても数ヶ月前までの話ですが、庶務業務という名の雑用の監獄に入れられていたので(いや言い方を改めます)入れていただいていたので、会社で過ごす8時間~9時間というのは、ものすごく長く感じた。特に「PCのシステムがエラーになったよ」とか「あらい君、ネットワーク接続ができないんだけど」とか名指しで僕に言われてもという感じで困ったのだった。

 

    中には僕が頻繁に駆けつけるので*1、僕がPCか何か情報系の学部を専攻していたのではないか。にしても体型がいいわね、うふふ。なんて噂をされていたらしい。僕は笑顔で、体育の学部にいましたと答えるけど「えー、そうなの?信じられない」と言われる始末である。喜んでいいのやら悪いのやら。

 

 

 昨日は15時頃に会社を出て、三田にある外資系企業の男性社員を取材した。外苑前から新橋で乗り継いで田町で降りるという具合で移動した。乗換えがおおむねスムーズになって、ここにも成長を感じられる。はい。 取材が17時頃に終わり、同行した箱根駅伝経験者の上司が「帰るっしょ?」みたいなノリで言うので「あ、はい」と言う感じですんなり帰ってきた。

 

    けさは文京区の春日と小石川の間くらいにあるマンションで食事に関する取材だった。会社に寄れたのだけどこれまた同行させてもらっている先輩社員に「直行で来ちゃいなよ」と言われるので、甘えて現場直行にした。確かに会社に着いて、数十分で外出してしまうくらいなら、初めからまっすぐいったほうがいいよねと思うのである。おかげでぐっすり眠れた。あれは嬉しかったな。

 

    朝起きた時には視聴予約になっている朝のNHKニュースから朝ドラも通過し、朝イチがやっていた。イノッチと有働さんももう卒業である。寂しい。なんで三月四月という時期が卒業の季節なんだろうと思う。決まったらすぐにしめやかに執り行うべきである。まあいいや。僕が見たときには鈴木保奈美が出ていて、顔は確かに老けただろうが声は変わらないと思った。先週末「東京ラブストーリー」を見たばっかりだから知っていたのである。

 

    こんなさえない青年に「老けたが声は変わらない」なんて言われるのはなかなかかわいそうだけど、まあメディアに露出する人なんて大概そういうものである。と他人事に思っているし、共有しておきたい。お願いします。

 

 快速に乗るために明大前で2本見送った。朝から酔っ払いみたいなおっさんがいたり若いお姉ちゃんがいたり、なかなかカオスだったがまあ回送電車のように流そう。本八幡行きの快速に乗って神保町で降りた。京王線から都営新宿線へと直通で乗り入れるのは初めてだったかもしれない。あの直通で乗り入れる感覚が僕はまだ怖い。田舎モンなんだろうか。きっとそうなんだろう。都営三田線に乗り換えて春日で降りた。

 

 取材を終えて今度は国際展示場で行われている東京マラソンのEXPOに足を運んだ。同行した先輩は会社に向かうとのことで僕は都営三田線に乗り日比谷で降りた。1度地上に出て昼食をとり、有楽町線ゆりかもめを乗り継いで国際展示場正門駅に向かった。

 

 EXPOで同行した先輩社員はフルマラソンを2時間18分で走る人でこの会社に来る前は某新聞社で記者をやっていた。「ジャーナリスト最速」のような肩書きというか言われがあって、まんざらでもない感じである。遅い人に対してはいささか当たりが強い部分があるが、実際はとても優しい。いろいろ質問すると概ね経験則に基づいて説明してくれ、まれに物事を一般化して教えてくれる時もある。やっぱり速い/強い人の話を聞くというのは楽しいものである。

 

 EXPOを回り終わって16時を過ぎた頃だったがこの先輩社員もまた「帰るよね?」というような感じで聞いて来る。「日曜も大会取材あるし、いいじゃん」と背中を押された。結局その先輩社員と新橋までやってきて、そこから僕は銀座線に乗り換えて帰ってきた。会社の最寄りである外苑前を素知らぬ顔で通過するのだが、ふしぎと悪い気はしないのである。

 

 渋谷の井の頭線の改札を通り、空いていた各停列車に乗った。そもそも僕の最寄りが各停でしかないから当然っちゃ当然なんだけど、たまに止むを得ずぎゅうぎゅうの快速に乗って下北沢まで来る。そこからとぼとぼ家に向かって歩くが、だいたい15分くらいで着く。こんなに近いのだから夜中に終電を逃しても帰ってこれるね、はははと思っているがそれはそれでなかなかそんな機会がないのである。

 

 異動前やこちらに引越してくるまではしょっちゅう飲み歩いて、仕方なく京浜東北線に乗って帰ってきていた。1時30分くらいに蕨につき、酒臭くて煙たくて汚い商店街を、僕は半ば目を閉じながら歩かなければいけなかった。25分くらい。でもそんな出来事も振り返ってみると恋しいものである。とはいえまたさいたまに住みたいかと聞かれると、それはノーと言わせてほしい。

 

 

 話を戻す。電車は新泉を過ぎると外の風景は空があるものに切り替わる。ぱあっと晴れるのだけど、帰り道の列車をこのような感じで乗り「明るい空」を見るのは久しかったから奇妙な気分になった。日が長くなったこともあって、空は夕焼けに近い色に染まっていた。駒場東大前で東大生やらおばあちゃんがゴソゴソ入ってきて、平和な1日だと改めて思った。池ノ上、下北沢、新代田、そして僕の部屋がある東松原に着く。

 

 渋谷から9分というのは流石にもう3ヶ月近くもこちらに住んでいると慣れてしまうものだが、急にふと「なんだこの圏域の狭さは」と考えさせられることがある。当たり前のように電車を乗り継いで、縦断とまでは言わずとも都内のあちこちに行くというのはちょっと前までは考えられなかったことなのだ。そもそも就職活動をしていた時は、地元である宮城に帰りたかったのだからなおさら、自分がいま東京に生きているという事実そのものが(この現実に存在しているといえども)にわかに信じられなくなることがある。

 

 ちょっと話は飛ぶけれど、僕は小林秀雄という批評家であり作家が好きだ。その作家は戦争にも駆り出されたし、そこで自ら命を絶つかどうか迫られるところまでの事態を直撃した。学生の頃によく読んだ依岡隆児はレポート*2の中でこう書いている。

 

小林秀雄が 「故郷を失った文学」 ( 『文藝春秋』 、 1933 年) を書いたとき、 故郷. という ものを持っていなかった彼は、 故郷を懐かしがることのできる人をう らやむ一方で、 その状況を日本の近代が抱える宿命と して受け入れるという態度を示した。 頭で理解する郷土ではなく、 やはり彼は物理的で実体のある故郷/郷土を、できれば持ちたかったのだろう。 それがかなわないということを認め、 開き直ってそのこと自体をある種の拠り所にしたのである。 

 

続けて、

 

小林秀雄が 「故郷を失った文学」で、近代化を追求してきた日本では結局は足元 の具体的な生活が見捨てられ、生活が極めて抽象的なものとなり、地に足を着けた人間が見られなくなったとして、そうした近代人の一人としての自らの文学をも「故 郷 を失った文学」と評したのは、彼が東京生まれの都会人であったことも確かにその要因だろう。だが、たとえ地方に生まれていたとしても、この近代化の時代、人 一倍西洋に憧れ、身近な文化を疎んじた中野のような近代人も、「故郷を失った」境遇は同 じであり、こうした「抽象人」の一人だった ことに変わ りはない

 

 

 

 

 私は小林秀雄に文字通り惚れており、そのきっかけとなったのは岡潔との対談「人間の建設」*3という著書だった。数学者と批評家が情緒やら数式やらについて語らうそれはもちろん口語文で書かれているのだけど、何せ時代が時代なので言いぐせが旧い。それがまた気にいるところだった。国際政治系を学ぶ僕の友人に小林さん(おじさんみたいだな)のことを話すと「この人はモテたろうね」と言ってくれ、私にはそれがしっくりときた。腑に落ちた。

 

 もちろん東京に生まれ育った人が全て「故郷がない者」というわけではないのだが、ある種その国内規模でのナショナリスティックな感情というのものは(都会人と思われて仕方がない)かの東京生まれ東京育ちの人がみな共通して持っている体験なのかもしれないと想像する。まあ結構どうでもいい話なので、水に流してください。さらさら。

 

 私は山形で生まれ育ちは宮城である。親は両方とも山形だからというわけではないが、なぜか私のアイデンティティの核みたいな部分は16年間生まれ育った宮城ではなく、山形にある。それが土地柄なのか地域性なのかはよくわからない。多分60くらい年を取らないとわからないことだろうと思う。

 

 そういった「今はわけわからないけどいつかはわかるだろう」みたいないつ爆発するかわからない時限爆弾的お楽しみボックスは、懸案事項を先送り、後回しにして生産性うんぬん、効率化うんぬんとぐちぐちうるさく言われるものではないから心地いい。なんだかタイムカプセルをそっと埋めるみたいな気分である。これからいっぱい増やしていきたい。ワクワク。

 

 

 

 ところで、有楽町線の列車で隣に座った初老の男性は東京メトロからJRからほとんどが載っていると思われる路線図をクリアファイルに挟んで持っていた。眺めながら顔をしかめて、うーん。うーん。と唸っていた。結局僕と一緒に豊洲で降りたけど、大丈夫だったのかなとふと不安になる。でもあれはきっとボケ防止にはいいんだろう。スマホの電池も減らないし。今度やってみようかな。

 

 


The Beatles Yesterday (Original)

 

*1:そりゃあ駆けつけないと怒られるのは僕であるから

*2:日本の近代とハイマート(郷土/故郷)概念

*3:よかったらぜひ http://www.shinchosha.co.jp/book/100708/