何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

「また来ますんで。」

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大粒の雪がいそがしい街を覆った。雪は人を惑わせた。文字通り、戸惑う僕はいつもなら乗らないバスに乗り、帰り道とは真反対の方向へ動いた。ボクらはオムライスがうまそうな店に入り、ホットワインと冷たいワインとで乾杯をした。外はまだ雪が降り続いていた。いつ止むのだろうか、と思った。でも内心では「ずっと降り続けばいいのに」と思った。世界が雪に覆われてしまえばいいのに。と真剣に考えていた。文字どおり軽く一杯したところで、お腹も満たされてきたのでボクらは店を出た。婦人とコックには「また来ますんで。」と声を掛けた。

 

ニーナ・シモンについて語るのは難しい。

1950分に、僕は喫茶店に入った。彼女は、2〜30分しかやってないけどいいかい?と訊いた。僕は手首に目をやり「大丈夫。すぐ帰るので」と言った。このあいだ来た時は、僕が入ってすぐにスポーツウエアを着たおばさんが息を切らしてドアを押した。

「8人入れますか。」店主は、席を作りますよと答えた。

 

5分くらい経った頃、正真正銘のおばさんが8人が押し寄せてきて、店は賑わった。その時の僕は頭が痛んでいたので、あまり好ましく思わなかった。ブルー・トゥースのイヤフォンは電池が切れてしまい、せっかく気持ちよく聴いていたニーナ・シモンとお別れをしていた。何もフィルターなくおばさんの賑わいを目の当たりにしていると、美味しいコーヒーと大して美味しくないサンドウィッチの味はわからなくなった。読んでいた本に集中ができなくなった。やれやれ、と思った。

 

僕は本を閉じてだいぶ遠いところにあるTVに目を向けた。昼のワイドショーは文字どおりなんの面白みもなかった。得られること一つなかったといっていい。僕を含め人は皆こんなものに対して何を得るために時間を割くのだろうと疑問に思ったが、そもそも僕らは何かを得ようとして昼のワイドショーなんて見なかったのだ。

 

僕はニーナ・シモンが恋しくなった。頭の中で声を再生しようと思った。思いの外うまくいかなかった。考えるのをやめ、男性の吸うタバコの煙がゆらゆら動くのを目で追った。

 

僕は仕方なく、コーヒーを少し残した状態で席を立った(本当に仕方なかったのだ)。店主は申し訳なさそうに、ごめんねといった。そして当初の合計額から100円引いた形で支払いを求めてきた。悪いですよ、といって僕は、当初の額面通りに料金を皿に置いた。そして立ち去ろうとすると店主は急いでレジから出て、僕に続いてドアを押した。指には100円がつままれていた。階段を下りながら僕は手をひらひらと揺らし「また来ますんで」と言った。「また来てくださいね」と店主は言った。僕は店主を置き去りにした。

 

ちょっと経って今日、店を訪れた。いつも通り80年代のアメリカのポップスやロックが流されていた。そして遠くではTVがついていた。NHKだった。僕が席に座ると店主は水と電気ストーブを出した。「寒いから足元だけでも。」

 

ブレンドコーヒーとホットケーキを僕は注文した。「アイ・プッタ・スペル・オン・ユー」を聴きながら、昨日の夜に起こった出来事を一つずつ思い出してみた。なかなか平和な夜だった。

 

そこでは冬の夜にぴったりの「グッド・ベイト」と、季節違いの「オータム・リーブス」が流れていた。前者でニーナ・シモンは歌わない。僕は当初、てっきりニーナ・シモンが歌うものだと思って聴いたのだが、曲の終わり527秒になる最後までニーナ・シモンは声を発さなかった。哀愁が漂う悲しさはあるが、やはりそこには強さがある。芯のある強さだ。僕は旋律とか詳しいことがよくわからないのだけれども、そこに確かな「旋律」感を抱かないわけにはいかなかった。軽妙ではないリズミカルさが物語っている。

 

そんな風にして僕は昨日の夜に起こった(あるいは、起こした)できごとを一つずつ積み重ねていった。なんだか僕の日常ではないみたいだな、と思った。口には出さず、その代わりペンを走らせた。「なんだか僕の日常ではないみたいだな」。きれいな横顔がフラッシュバックし、そして消える。また場面は切り替わり、窓際にかけられた紺のコートは重々しくぶら下がっていた。重力を存分に受けているように見えた。窓の向こうにある光が紺のコートの輪郭を、かろうじてくっきりと際立たせていた。そのぶら下がりかたはまるで(僕は実際に目にしたことがないのだけれども)首吊り自殺をする背の高い男に見えた。

 

歌は「フィーリング・グッド」に切り替わった。この歌を聴く時に僕は、上空高く飛ぶパラシュートから見える(それはそれはとてもきれいな)高山一帯の絶景を思い出さずにはいられなかった。「最高のふたり」で主人公ドリスは、頸髄損傷で首から下の感覚がない富豪フィリップにパラグライドに無理やり付き合わされるシーンだ。フィリップは過去にパラグライドによって頸髄損傷になったわけだが、やめられないのだ。それは父の教えにあった。「常に支配する側であれ、と父に教わった。」そのフィリップのセリフはあまりにも重く、厳しい。バックで軽妙に流されるニーナ・シモンの声と対照的に「フィーリング・グッド」という曲名が脳裏にちらつき、僕はやっと落ち着くことができる。気持ちよくなるだけのことを考えて・・。

 

そんなことを思い出していると店主はカチャカチャと音を立てながら皿を運んできた。「大きくなっちゃったけど食べられるかい?」

「もちろん。お腹が空いているので」と僕は答えた。

 

静かな喫茶店で僕は一人、一心不乱にホットケーキを頬張った。フォークとナイフを持った手を時々カップに持ち替え、すすった。至福だった。

 

25分には出ますんで」というと少し間を置いて「35分でいいよ」と返ってきた。薄暗い空間で僕はホットケーキとブレンドコーヒーを摂り込んだ。食べ終わると本を閉じ、音楽に集中した。「あと5分。」

 

2035分までいいと言ってくれたが、僕は結局2025分には席を立った。彼女は、すでにその日ぶんを計算したであろう会計用のビニル袋のジッパーをふたたび開け、勘定した。ごちそうさま、というとこのあいだとは異なった表情で「また来てくださいね」と言った。僕は「もちろんまた来ます」とだけ言って、ドアを閉めた。

 

店に入る前よりも身体があったかく感じられた。それはまるで、一日の終わりに思い出したように血が通ったような気分だった。新しい血に入れ替わった、という方がイメージが近いかもしれない。まあ、どちらでもいいや。

 

 


Nina Simone - I put a spell on you

 


Nina Simone - Good Bait

 


Autumn Leaves - Miles Davis

 


NINA SIMONE-FEELING GOOD