「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

コーヒー・ブラック

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コーヒーはよくかき混ぜられなければならない、と常々僕は思っている。でも?だからこそ?僕は混ぜてしまった。混ぜてしまったというのは意味そのままで、混ぜられるべきでないものを僕の手によって混ぜてしまったのだ。ぐるぐるとかき混ぜてしまったのだ。

 

 

 

 

朝は『カルテット』のBGM「テーマ・フロム・カルテット」を聴き、帰りは『MOZU』の「真実の断片」をきいた。どちらもささやかな雨が降っていた。しとしとではなくサラサラ。予報では「夕方には止む」とのことだった。NHKの美人なアナウンサーが言うんだからそうだろう、と信じきっていた。画面の前で狭いスカートをはいた彼女を見つめながら大きく頷いていた。朝も夜もよく見えないほどの粒の水が地を濡らした。後者はその姿を見ることができた。街灯に照らされ反射した光がそのまま雨粒の形を見せたのだ。それらはどこに当たるでもない、地上の三十センチくらいで消えてしまいそうだった。それはまるで仙台の冬の、降っているのかそうでないのかわからないような姿の細雪だった。

 

冬?

 

果たして僕らにとって「秋」とはいつからなのだろうか?そんなことを考えながら歩いていた私は、ジャケットを羽織ってきた自分を褒めようと思った。とても寒かった。手がかじかむ感覚を久しぶりに覚えた。ここで倉木なら・・・

 

倉木なら雨に打たれながら夜道を歩くだろうな・・・と、ふと思ったが私は傘をたたむことはしなかった。何せこれから一時間近くノロノロ歩かなければならなかった。店でパンを買い、電車に乗り、また店に入って今度はコーヒーを買う。それくらいするのに、濡れたスーツにくたびれた顔をした成人男性という格好そのものは、社会的に不適切だった。

 

 

秋風は思ったよりも冷たかった。立派な冷たさだ、素晴らしい!と手を叩き、そのために暖かいカップに入ったコーヒーを投げ出し、指笛を吹きたくなるような立派さだった。讃えるべきである。(カップの割れた音は遅れて聞こえる)僕は秋の匂いがする方向にぐいっと顔を向け、身体全体にそれが染み込むように大きく息を吸い込んだ。こんなもんじゃないまだまだ。と思いながら一生懸命に吸い込んだ。少しむせ歳をとったことを感じた。

 

 

僕は「浸透」という言葉が好きだ。「透きとおってその向こう側が見えてしまうくらいに浸る」。「浸ってさえ仕舞えばその向こうは透きとおってみえる」かもしれない。どっちでもオーケーだ。ああ、なんていい響きなんだろう。

 

 

どの季節が好きか、と訊いたならその時季が夏である場合「冬だ」と言うし、冬の場合なら「夏だ」と答えるだろう。春の場合花粉症患者なら「秋だ」と答えるし、恋人のいないものなら「そんなのあるものか」と怒鳴りつけるだろう。

 

この頃ようやく気付いたのだが、僕はどの季節も好きだ。春も夏も冬も。それは言ってみればどんな色が好きという愚問を与え、それに答えるのと同じことである。暖色系、寒色系とあるがいづれにせよ僕は緑は好きだし赤も好きだ。真っ白いワイシャツも好きだ。「白にはヒエラルキーがある」と以前言ってみたけれども、この頃はそれが確かなものだと感じることがある。頻繁に。

 

 

いま「オータム・リーヴス」から「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」に切り替わった。ビル・エヴァンスからフランク・シナトラだ。残念ながら僕はこの手のジャズに女性の語り手を見たことがあまりない。名前の思い出せない女の「スピーク・ロウ」は見事だったな・・・

 

 

 

 

母は僕にオレンジが似合うようになって欲しいと言って、コンバースのシューズにユニクロのフリースを買い与え、毎日のように身につけさせた。どちらも全面的に鮮やかなオレンジだった。しかしやがてくすみ着なくなってしまった。でも僕は確かに今でもオレンジは好きだし、今後オレンジを嫌いになるようなことはない、と言い切ることができる。だけど緑のものや赤のもの、白いワイシャツは身に付けたい。オマエはずっとオレンジだけだ、と言われたらひどく動揺するだろう。うろたえた僕はスーパーで柑橘のオレンジを見るたびに吐き気をもよおすんだろう。濃紺のスーツを着た私は急いで会計を済ませ、店の外でドロドロと吐く。そして、暗澹たる気持ちで水色と黒色の雨に打たれながらキウリをかじり、あらためてむせび泣くだろう。あくまで想像だ。

 

 

 

 

基本的に僕は、コーヒーはブラックで飲む。ごくたまにミルクや砂糖を混ぜたものが飲みたくなる。セブン・イレブンのアイスカフェオレが好きだ。春先にはじめて買い、甘さ加減がちょうどいいなと思い、夏が楽しみになった。けれども僕は大切な夏にそれを見つけることができなかった。理由、原因は今でも分からないのだけれどもあの時セブンは僕個人に対し戦略的に「無糖」しか売っていなかった。

 

 

僕は仕方なく、便宜的に「無糖」のそれを買い、上蓋のフィルムをはがしてコーヒーが注がれる前にシロップを入れた。コーヒーが注がれると勝手に混ざると思っていた。僕は余りマドラーを使わないようにしている(とてもとてもささやかではあるけれど少しでも地球に貢献したい、と思っているのだ)。

 

だが、マドラーが挿し込まれないコーヒーはあまりに巧く混ざらなくて、また、おいしくないことがわかった。分離した部分とか、そもそもアイスコーヒーに潜むあの氷は存在そのものがいやらしいのだ。当然のことだけど、溶けたぶんだけコーヒーの濃度は低下し、それだけで損した気分にさせられる。またあいつは、グラスの表面にたっぷりと結露をつくり、だらだらだら。テーブルや指はぬれるし、ズボンに水滴が落ちる、それが太もも部分だとからだが冷える。僕にとってアイスコーヒーはあまりいいものではないみたいだ。  

 

 

この夏場は特に、うだるような暑さの中では、ホットコーヒーのカップをのんきに握れたものではなかった。抱えるように、冷えた身体を温めるように両手で持つ季節に早くならないか、とそんなことを考えながら表計算ソフトの画面を睨んでいる。僕がなんにもしなければ表計算ソフトのマスやグラフは何一つ動きを見せないし、勿論いい方に向かうはずなんてなかった。だから僕はずっと睨んでいたのだ。そのうちに僕は耐えられず笑って、負けを認めることにした。そしてワード・ドキュメントを開いた。ふつふつと浮かんでくる言葉や文字の一つひとつに、小さくてそれほど重くない錨をつけてやり、浅い海の底に沈めた。

 

 


Speak Low : Peggy Lee..