何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

ありありと思い出すことができる風景が喪われるかなしさを

9月は僕が1つ歳をとった月だった。この誕生日はとても楽しくまた哀しくもあり、よく晴れた1日だった。20人から誕生日に関するメッセージを受け取り、2人からプレゼントをもらった。1年前を思い返してみると、僕がこの会社に入社することが許された時期だった。915日だ。最終面接を終え本郷のスターバックスコーヒーでぼうっとしていた。釣銭を受け取る時に可愛い店員に手を握ってもらったのをいまでも覚えている。突然の内定通知を受け取った私は飛び上がり、トイレで急いで着替えた。ベルトはその時スターバックスコーヒーのトイレに置いてきた。

 

僕はなんだか厳かな気持ちで東大の赤門をくぐり、母に電話をかけた。母は何度も僕に確認をした。僕は電話をつなぎながらメッセージを何度も確認した。大丈夫、メールも来た。そう伝えると母は安心し、お祝いにディズニーいこっか、と言った。彼女じゃあるまいし、もっとましなのはないのか。と返すと、それくらいいいじゃない、と言った。結局ディズニーには行っていない。

 

 

 

GLAYを聴いていると、何百回と往復し続けた高校の通学路を思い出すことができる。仙台のマチナカからはずれた大きな道。800mほどある長い橋。夏は豊かに生えっきり、冬は寂しく禿げる川べり。森の中。潰れかけたショッピングセンター。僕は、今でもその光景をありありと思い浮かべることができる。その道は全てと言っても過言ではない、GLAYと共に駆けた道だった。

 

僕は、玄関の電気のみを点けてぼんやりと暗いへやの中で横たわっていた。この頃よくそうする。へやの電気は明るすぎて、とはいえオレンジ灯だけだと暗くて本も読めない。玄関のライトをつけながら過ごすへやは居心地がいい。このへやで唯一気に入っているところかもしれない。

横たわった僕は耳にはイヤホンを差し込んで、ミラー、いつか夏音ソーリー・ラブストリート・ライフを聴いた。思い浮かぶのはあの寂しい通学路の断片ではなく、総体だった。あそこで僕はいろんなことを考え、思った。泣いたり笑ったり、時には大声で歌ったりした。腹立たしくて目の前に現れるひとを片っ端に抜き去った。誰も何も言わなかった。僕も何も言わなかった。帰ると母は私に、なんでそんなひどい顔をしているの、と言った。あなたが産んだんだよ、と僕は答えた。

 

目をつむると浮かぶあの日々の光景に何かどこかが重なってか、こちら(東京)のシーンが混ざってくるのが、たまらなくいやだった。それはとても無慈悲であり図々しくさえある。池袋とか新宿の雑多で汚い風景をあっち(仙台)に混ぜたくないんだ。家で目を閉じてるときくらい、思い出に浸らせてくれたっていいじゃないか。僕はそう思って、歌う声を大きくした。誰も何も言わなかった。僕はその歌詞を口にした。

 

あの頃は言葉の重みをまだ知らなかったんだろう。しかしこの頃、意味もわからず叫んでいたリリックが妙に心に沁みてきていやなのだ。こう実感させられる。誰が何と言おうと僕は歳をとったのだ。それはまた仕方のないことなんだろう、と思い直した。

 

 

そのうちに僕は僕自身の年齢さえもわからなくなって、一回り下の青年に向かって、君は彼氏がいるのかい。そうか、楽しい時期だな。と言うのだろう。

 

本はたくさん読め。そして読んでいることは少なからず隠すんだ。こっそりと読め。と付け加えるだろう。そして僕は、こう聞かれる。おじさんは読書してた?

 

おじさんは読書が嫌いだ、そう答えることにしている。