「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

「会いたい」っていわれる資格はない

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「会いたい」にはいろんな種類がある。例えばテレビの中でしか見れないようなスターだったり、スターとまではいかなくても一部の人間には著名な人物だったり。あるいは人物でさえないかもしれない。話題の動物やら人気なスポットに数えられるオブジェについても、一度でいいからこの目に収めたいと思ったりする。

 

またそれとは別に、今まで当たり前のようにして顔を合わせてた仲間、ともだちなどは疎遠になり、恋しくて「会いたい」と思ったり。もう一つ。かぞえる程数回しか会っていないのにそれが妙に記憶に、印象に残っていて、あの時の場所の雰囲気とか空気とかを思い出して「ああもう一度」と思いはせたりしてしまったり。たとえ一人で行ってみてもその時の雰囲気を再現することはできなくて、ただぽつんと一人佇むだけで、私の周りでは恐ろしいほど静かに、ゆっくりと時間が流れていった。

 

夢の中である女性(同年代か年上)に「あなたに会いたいっていわれる資格はない」といわれた。なんだかこの言葉、フレーズの1つずつが気がかりでいちにちずっとこだましている。「思う」のには資格はなくて、「言う」ことには資格があるのか。私はその相手に「会いたい」と言ったのか。また別に、そんなことをその女性が口にしなければならない状況はかにして作られてしまったのかなど、考え出したらきりがない。はたして考える必要はないのかもしれない。

 

 

電車に揺られながら文字を打ち、時折ニュースをみ、またある時は行く人来る人の表情をみ、いろんなことを同時並行的に行いながら、私に対してそんなこと(こんなこと)をいう人はどんな人だろうか、と一人ひとり思い浮かべて当てはめてみた。

 

入ってくる人。出ていった人。留まろうとしている人。出て行きたがっている人。入りたがっている人。遠くから眺めている人。近いけどそこからは近づいてこようとしない人。それぞれ浮かんだが、条件に当てはまるような人は挙げだしたらきりがなかった。

 

 

そうやって一人で寂しくなり、秋晴れの日光に強く照らされながら私は気持ちの悪い汗を流した。

 

こんな文章を書いている時は、ベランダに足を伸ばしで涼しく夜風に吹かれながら、また背中では扇風機の風を受けていた。

 

 

 


GLAY / Winter, again