本音

 

 

*ちょっとした告白をします。大げさなことではありません。

 

 僕が就職活動している時に考えていたことといえば、とにかく現場に「行って」、何かを「見て」、そこにある声を「拾って」、そこにはいない(あるいは、いる) 誰かにその何かを「伝えたい」ってことだった。それゆえ自然とフィールドワークが仕事になりうる業種に焦点を当てるようになるし、それをただ選択するようになった。(そこには装置も仕掛けもありません。そういう視野の狭いものの見方しかできなくなります)。で、やっぱりそれが可能になるのは記者だろう、と。それしかないと思ってた。そしてそれはあいにく今も変わらず、心のどこかにはいっていなくて、心の中心でふつふつと煮えています。

 

 僕は中学生まで大したランナーでもないし、プレイヤーでもなかった。でも、主要な地域の大会の結果は決まって新聞の、その欄をスクラップしてきちんとファイリングしていた。「ああ、すごいなあ。かっこいいなあ」って漠然とした気持ちで、どうしてだか知らないけどファイリングして、定期的にそれを読んだ。別に親、先生にそうしろとか言われたことはなく、いつの間にか集めていて、いつのまにかファイルを飛び出して勉強机に座る目線に貼ってありました(よく新聞を汚くして怒られました)。

 

 高校に入って、*1先生に可愛がってもらえるようになってからみるみる記録が伸びていった。楽しかったですね。純粋に。走れば走るほど、っていうわけじゃないけれども、あれはよくできている。いいタイミングで「記録が出る」。控えめに言えば、頑張れば頑張るぶんだけ(運がよく)「結果にコミットした」。まあ、それだから、楽しかったというわけじゃなく、その途中経過(過程)のきつさ、しんどさがあってこその楽しさだったんです。理由は以下です。

 

   よく僕たちは、M(マゾヒスト)ですよね、ってよく言われるけれども、少なくとも一定の数の陸上部員はそんなことを考えて練習に取り組んでいないと思います。なぜならしんどい練習に取り組みながらもいかに楽をするか、いかに対戦する相手をなるたけ少ない努力で痛めつけられるかの勝負の連続だったので、どちらかというとS(サディスト)の気質が高くないとやってられない。そのうちにだんだんと、勝負の相手は対戦相手だけではなくて、自分に向いてくるんですね。そこで抑えていいのか、そこ引いていいのか、もっといけるだろ出せるだろ、って。ここまでくると、Mを内包したSになります。

 

 でもそれだけだと勝てなくなるし、次第に記録は停滞していきます。自分に対してしんどさを与えられない、与えられるんだけども耐えられない、与えてその場では耐えられるんだけれども次の勝負に繰り出せるために回復できない、というように次から次へとタスクは表出してくるんです。

 

   仕事においてもそうだけど、常にリカバリー(回復)とレスト(休息)のタイミングを選べないと、勝負するためのグラウンドに万全の自分を召喚できないわけです。土俵にも上がれない、というのは「負ける」ことと同義ですから、自己肯定感というのは余程のことがない限りすり減っていって、次第にそれはゼロになります。

 

 ところで、就職活動を終えた自分に待ち受けていたのは「卒業論文」でしたね。僕は歴史のある学校の応援団を今日的に捉える、というものすごく曖昧模糊な研究に取り組みましたから、なんだかこれも終わりのないような。でも先生とか年の離れた先輩は面白いっていってくれて、ジェンダーの学会で発表したいから使わせてくれ、だなんて。結局話は来ていません。

 

 女子校の応援団では男子が排除される。男子はどんなに偉くなっても、年次が上になっても応援「団長」にはなれない。

 

 もう一つの男子校では、そもそも女子が応援団に入団できない。

   

   前者は、委員会としての機能を果たすという目的があるので、有志というよりかは義務的な要素が強く、その選挙は概ねじゃんけん。

 

   後者は完全有志制度。団員は男三人になっても、いやでも女の手は借りないという形です。上級生がダメ、年の離れた先輩がダメと言ったらだめ。そんな絶対的な縦割り社会の中で1年生の男の子は、僕はそういうのから離れて「新しい」応援団を作りたいですね、と言ってくれた。感動しましたね。ボロボロの団室。袴とかしないとか下駄とか旗とかが押入れに詰まっていて、最後にいつ洗われたんだかわからないような様相。

 

   発言した彼は、どう言った理由で女子を排除するのかわからないから、それはきちんと明かすべき、と僕に向かって、直属の先輩に向かって言った。

 

 そんな研究とも言えない研究を1年弱してみて感じたのは、やっぱり現場って面白い。

 

    僕が事前に想定してこんな風になるだろうというラインはきちんとなぞられる。けれども、だいたい横道に逸れたりして、それは僕が何かいい質問をしたからではないんです、彼ら彼女らが、ぽろっと口にすることから始まるんです。それを聞き逃すまい、とヴォイスレコーダーで録っているんですが、いつ後から聞き返してみてもおもしろい。生々しい高校生の声は僕にとって、大学生活の中の財産かもしれない。ちょっと大げさだけど、そうやってフィールドワークを自分の手で一からやってみると、これはどうにかして生業にしたいぞとふつふつ思えてくるものです。とてもありきたりだし、これと言った理由をきちんと言えていない気がするんですが、僕なりに「大」いに「学」んだ結果が上に書いたことなんです。

 

 「記者になりたい」って先言いましたのでそれに絡めて少し回想してみます。

 

   高校生の頃は記録がよくでました。僕にとっては頑張った方です。決して、どこでも妥協しませんでした。5日間の高総体をフルで活動した最終日の夜中、39度の高熱にうなされて布団は汗ぐっしょり。ゼリーがやっとで何ものどを通らなかった。穴が塞がって痛かったです。

 

   おかしいだろうと思って診てもらうと、扁桃腺がパンパンに腫れ上がっていて「切りますか?」って。バカか、と思いましたが冗談ではないようで「この先、爆弾を背負って生きていきたいですか?」と真顔で言われました。持病と言ったらおおげさだけれど、そんなもののようです。元から腫れやすい体質みたいで、無理したらいつ「爆発」するかわかりません、と。結局手術はしませんでした(まだ爆発はしていません)。

 

 そんな限界スレスレを、それなりにしんどくやってみると、それなりに結果が出て地方紙のスポーツ記者にインタビューされるようになった。主要な大会の前とか後とかにアポイント取ってもらって、すうじっぷん間お話をさせられて、あれはとても楽しかったですね。高揚感というかモチベーションが上がるというか。僕をお世話してくれた記者の方は「良い」部類のかたで、決して悪くは書かれませんでした。(よく「思ってもいないことを書かれた」みたいに、「記者イコール悪」みたいなことが往々にして起こるようですが)。うまく引き出してくれたことによって、僕はいまこんなことを考えているのかとかこういうことをやってきたからここにいるのかとか、それをとてもシンプルに、簡潔に書いてくれたことによって、複雑に入り組んだトレーニングの経過とかその身体的変化は整理されました。それがとても嬉しかったんです。

 

 僕にとっての原体験です。インタヴューされて喜ばない人はきっとその道のプロでしょうし、そういう人はよそがやればいい。それだったら僕は、プロを目指しているアマチュア、ものすごく広く言えば一般市民的な層をアタックして、さらに欲を言えばモチベーションの向上につながるようなことをしたい。僕は就職活動の時に、そんなことをポワポワと考えていました。その道で行ってなんとか地元を活気づけたい、ととてもやわなことを。

 

   でも僕は最大の失敗を犯したのですね。目当ての地方紙の試験が迫ってきて、営業職と編集を選ぶ時になった。もちろん編集を選べばよかったんですけれども、どうしてか僕は、試験が一つ少ないというだけで営業職を選んだ。バカだなあ、と。これは決して、誰にも言えないことです。何も伝えられず、僕はその道からリタイアすることを強いられました。いやらしいことにそれは自らの手によって、です。もちろん結果はダメ。当たり前ですね。何も営業のことなんかわかってない奴が、まあただ単に勉強不足ってのもありますが、受かるはずがない。最大の後悔です。

 

 

*1:元々日本記録を打ち立てた