「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

作者の視点に立つこと

 

この文章を読んでもらっている限りわかると思うのだが、僕は学校生活じだい、とりわけ現代文が苦手だった。せんせいからは点数や評価といった「無言」の形で、親からは「お前はできないよね」といったより直接的な形でレッテル貼られているように感じ続けていた。よく、現代文はだいたいにおいて攻略法が通用する、と聞いていたがそれはとても胡散臭さに満ちていて、よくやるせない気分にさせられた。

 

中でも作者の視点に立つことというのが難しい。自分が自分を形成しようとしている時期に、自分のメガネがまだ出来上がっていない段階で、他人の出来上がったメガネ(しかも度が全く異なっている!)をかけようとするのはむつかしいことだし、しっくりこないし、そう考えると現代文をあえて学ぶのに、どんなメリットがあるんだろうと思えてくる。

 

だけどある程度のペースで書いて、出して、それもまた無料/無量で出して、ということを繰り返ししていると「ここはこう感じてほしい」とか「ちょっとこれくらいならわかるよね!?!?!?」といったことが起こってくる。空気の共有だ。話題の飛躍とか定番のことを書いたりする時とか、そういう時にどうやらよく感じているようだ。当たり前のことを当たり前のように理解してもらえる、共感してもらえることを書くのが大切だ。自己肯定感なんていうヤワで脆いものは不必要になったとしても僕は、自己肯定感を大事にしようと思っている。

 

巷には、ひねられたこぎれいな文章があふれていて、それもまた無料で博識な人たちのそれを、身分とか年齢とか性別とか関係なく読むことができる。時間も問わない。ひねった文章にはたくさんの「いいね」があり「拡散」された跡があり、それだけで価値を持っているように見えてくる。

うぬぬ、とうならされて、はい自分もコミットします、と「拡散」する。でもそんな文章はよほどのことがない限り、数年後また思い出せることはなくて、ややもすれば一日も経つと存在さえ忘れてしまっているかもしれない。なぜなら飽和している上に、それが無料であるからだ。

 

まあもちろん、本になるような文章にも似たようなことが起こるといえば起こるのだが、やはりその辺のプロセスは異なる。誰かが検閲したり校正したりするのには、それくらいの「意味」がある。したがって、形があるのとないのとでは、心に残るか残らないかという点においてだいぶ差がつくように感じている。これはもちろん、僕個人の経験論でしかないのだけれど。

 

で、話は前後したが、そういったひねってあるこぎれいな文章をたくさん読んでいると、僕も私もこんなのを書きたいと思うようになる(僕はなった)。でももちろんうまくいかない。なぜか。その人のような経験がないからである(個人的な経験がないこと)。あるいはその人たちが掛けているようなメガネの度数が全く合わないからである(本質を捉えられるような視座を持てていないこと)。

 

彼らは彼らのメガネをかけて、胡座をかくように、あるいは水を飲むように何かを発信することができるのだ。

 

 

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こんな話を思いついたのが夜中の2時という、これはまたあまり嬉しくないことだが。たくさん喋り、ビールを飲み、味の濃いものを食べ、またビールを飲み、帰ってきて寝た。寝ている最中の感覚からして、ものすごい喉の渇きを覚えた。言葉通り、喉の渇きで目が覚めた。バッと起きて、財布と鍵を手に取り(律儀にアイフォーンも持っていた)いそいで家を出た。家の前の自販機にコインを入れて三ツ矢サイダーをポチッと。がこん。ぬるい。熱くすら感じた。まったく冷たくない三ツ矢サイダーをこれほどまで憎らしく思ったことはなかった。仕方なかったので、もう一度コインを入れ、栄養剤みたいな炭酸飲料水のボタンを押した。あろうことか、こいつもぬるかった。もう嫌になった。遠投してやりたくなった。僕は大通りに出てわざわざ通りを渡り、自販機の前に立った。トラックの運ちゃんの目が怖かった。自販機のジュースはなんだか高かった。コチトラすでに230円使っていて、さらにいうと飲むことができないジュースを二本抱えているというのに、この自販機は割増しで高かった。ため息が出た。仕方ないセブンにでも寄ろうときた道を折り返した。でもあれだな、飲んでないジュースを二本裸で持って入店するのもな、と思った。出る時になんていえばいいんだろう、と。これもまた仕方なく、店の外にぬるいサイダーとぬるい栄養剤みたいな炭酸飲料水を並べて入店し、冷えたレモンコーラを買った。タクシーの運ちゃんは、起きてるのか寝ているのかわからない様子で信号待ちをしていた。顔が明るく見えたのはスマホのせいだった。事故るなよ、と思った。セブンで買ったレモンコーラを開けようとした時、そこまでものすごく水分を欲していた自分が、急に遠い存在のように思えて、不思議とあまり飲みたいと思わなかった。よりによって、このレモンコーラがまたおいしくない。参った。もう降参だよ。おかげでこっちは一本のジュース買うのに、二本のジュースが邪魔で仕方なくて袋もらえませんか、なんて聞かないといけなかったし。まあそれは、関係ないよね。

 

 

冷えてないサイダーはあけてもしゅわしゅわしない、と思った。ペットボトルをあかりに透かして見て、こいつは水同然だろうな、しかもぬるくてほんのりあたたかくすら感じるこれ。水に戻りたい?ねえ水に戻りたい?って問いかけそうになった。

 

 

猫が物陰から急ににょろっと出てきて、びっくりした。殴ってくるかと思った、あいつ。そいつはたくさんの種を植え付けまわって困らしてるやんちゃなやつだった。馬鹿野郎、って叫びたくなった。

そいつは不器用そうに、自転車にぶつかりながらガチャガチャ音を立ててかげに消えてった。

 

 

ってことをぶつぶつ口に出しながら歩いていた時に、ふと始めに書いたことがよぎって。今仕方なく書いているんです。本当はPCなんか開きたくないし、今すぐにでも寝たい気持ちでいっぱいだったけれど、こいつは書き残したいなって気になった

(けっきょく、ギブしました)。

 

 

きのうは、酒を飲むと水分が足りなくなるのを身にしみて実感したよ。つらい。もうとうぶんいいかな、と思う。まあ明日明後日には忘れているんだろうけど。