「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

俺たちはすぐれた編集をみている

 

「この打楽器すごいね」彼女が興奮して言った。僕にはよくわからなかったけれど、そう言われると確かに打楽器の音が強いかもしれない。ブラバンの演奏を聞いていると、中学3年の春に野球人生を終えたきっかけとなった盗塁失敗をおもいだす。僕の足は彼の肩に負けた。もうやってられるない、と思った。

 

 

ピッチャーが投げた。金属バットがボールを捉えた。「カキン」と気持ちいい音がした。観客の声が聞こえた。実況の声がこだました。また観客の声が聞こえた。解説者はものしずかに打者のことを褒めた。「肘をコンパクトに畳んでよく振り切りました。ボールをよく見ていましたね。」

 

 

私たちはボールのことなんてよく見ていない。見ていられないのだ。 それでも川上哲治は「ボールの縫い目が見えた」という。知らないな、そんな人は。少年時代、V9がいかほどのことなのかよく知らなかったが、今にして思う、恐ろしいことだなあ。

 

曲がったり落ちたりするボールの軌道に対し、イメージとしての記憶が反応する。身体ではない、脳だ。反射的に、腰から脚にかけて、体幹から肩肘に掛けて連動的に動かしていく。

心まで持ち出すと少しややこしくなるけれども、「打撃」というのはとにかく、外見的な身体能力だけれはどうにもならないのだ。眼や脳をよく使う。

 

 

秒単位で鋭く切り替わるアングルを見つめながら「何処かの誰かがやってるんだね」と言ってみた。

 

初めてプロ野球を見たのは2005年、その年楽天がやってきた。父と外野の芝生席に座り、隣のおっちゃんがジュースをくれて応援用のバットもくれた。そういえばバッジもくれた。どうしてそんなにくれるのかよくわからなかったが、僕は受け取った。

 

夕暮れから暗くなる頃、ナイター用のライトが一斉に点いた。球場は一気に明るくなった。ピッチャーは山村宏樹で、だいたいその頃はストレートが平均して140キロ前後だった。バッターのことはよく覚えていないが、左打者が勢いよくバットを振り切った。そして打球は私の方へ向かってきた。フェンス直撃のツーベースヒットだった。

 

そこから投球を眺めていると、なんだか遠い国で起こっている紛争を眺めているみたいだった。僕にとっては無関係な出来事のように思えた。

 

でも僕はそれなりにワクワクしていて、何が起こるんだろうと思っていた。「外野」っていうのはとても寂しい。寂しいものの集まりだ。みんな寂しいから、集まるとなんだかあたたかい。

 

もう一回あの芝生に寝転がりたい。そして今度は僕が、おっちゃんにビールを振る舞いたいな。

 

 

テレビは便利で俺たちに全部見せてくれる。音もきかせてくれる。わざわざ。ラジオは・・・いいよな。あの実況が好きで、卒業論文のテーマにしようと思ったけれど、それでラジオが嫌いになったりしたら嫌だったからやめた。すぐれた編集は、俺たちに全部みせてくれる。

 

 

僕は未だに画面の中の彼らを歳下だと思えない。自分自身がユニフォーム姿である彼らに何を重ねているのかわからないけれども、「甲子園」に出た高校球児は、同年代の他の男子とは一線を画す何かが具わっている。異なっている。

 

決して、鍛え上げられた肉体がそうさせているのではなく、中にはひょろひょろもいれば、小さいのもいる。さすがにただ太っているのは少ないが。いろんなものをまとめてその集合体が「甲子園」。良くも悪くもすぐれた編集に使われてしまうのが、高校球児。嬉しくも悲しくも。

 

 

「使われてしまう」ということについて、外野がとやかくいうことではない。それを選んだ(それはつまり小さい頃からケンコーボールを握らされて、というところから始まるのだと思う)時から、甲子園という幻想でありつつも夏休みに食い込んでくる「日常」へと思いを馳せる。

 

チアガールかわいい。